ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
四半世紀以上前、学園で主任として働いていた春先のこと。母子通園中のある母娘が保育を欠席しました。後の懇談で、本州の、とある神社をお参りしてお祓いしてもらったことを聴きました。
娘が生まれ、障礙のあることが明らかとなり、舅・姑から「うち(父方親族)に、こんな者は出たことがない。あんたの血筋だろうから、お祓いしてもらってこい!」と言われた…と、泣きながら語ってくれました。娘を伴って赴き、独身時代に貯め残しておいた20万円を、お祓いの祈祷料に支払ったということでした。
このような舅・姑の考えは、「因果応報」の宗教的価値観を背景に、先祖の誰かの悪業が呪いや報い、祟(たた)りとなって、生まれ来た子どもに現れたとする考え方です。
実は、今は亡き私の父も、こうした考えに苦しめられた一人でした。
今から75年近く前の話。
父は、小学校5年生の雪深い冬の日に、冬休みの宿題の工作を思い立ち、衣紋掛け(ハンガー)の太い針金を折り曲げようと、納屋に置いてあった長丸い金属の塊を持ち出しました。その金属の塊を障子の敷居の上に置いて台座とし、衣紋掛けの針金部分を乗せ、こたつに半分体を入れ伏せた状態で、金槌(かなづち)を勢いよく振り下ろしました。その瞬間に、父は両眼の視力と右手の指三本を失いました。金属の塊は、父の兄(伯父)が砂浜海岸で拾い納屋に隠しておいた、戦時中に米軍が投下した不発弾だったのです。
なんとか命を取り留めた父でしたが、入院生活は1年半に及び、退院後は県立盲学校の中等部に入学・入寮しました。しかし、寮に引きこもり、学校に通うことはありませんでした。かつてのガキ大将は見る影もなく、死ぬことばかりを考えながら一人ベッドでハーモニカを吹いていたと言います。
そんな折、ボランティア活動で寮に来ていたYMCAの青年が、廊下で父の奏でるハーモニカの音(ね)を聴き、キリスト教会・日曜学校のクリスマス会で演奏して欲しいと誘ってくださいました。『もう、何もできない』と思い込んでいた父に、『こんな自分にも、できることがある』という思いが与えられ、これを契機に父は日曜学校に通い始めました。それからしばらくして、父は盲学校の中等部へも通えるようになります。
父が学校に復帰する上で、教会で得た、ある一つの思いがありました。
それは、聖書(新約)ヨハネによる福音書9章1~3節に記されている、キリスト・イエスの言葉。
「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ(先生)、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業(わざ)がこの人に現れるためである。』」
この聖書記事に登場する盲人は、キリストの奇跡によって目を癒やされますが、神の業(わざ)の現れ方は、癒やしばかりではありません。
父もまた、視覚障礙が癒やされることはありませんでしたが、そのこと以上に、自身の障礙の因果が、自分がガキ大将だったからでも、親の過去の行いによる報いでも、先祖の呪いや祟りでもないこと。その上に、自身に神の業が現れる“約束”を得て、『生きててもいい…』『(神の業を体現するには)生きてなきゃいけない…』と、“生きる希望”と“生きる目的(理由)”が与えられたのです。
視覚障礙によって瞳の中の光を失った父ですが、心の中を光が照らします。それからの父は、ありとあらゆることに励み、高校、大学へと進学。教員資格を得て母校である県立盲学校の教員となり、定年までを勤め上げました。定年退職後も教会長老、教会議長(代議員)として、正(まさ)に神の業を“視る”人生ではなかったかと思います。
もしも、父が障礙を得ていなかったら、父の人生は全く違ったものになっていたことでしょう(きっと、私が生まれることもなく…)。
視力を失うこと、それは父にとって死んでしまいたくなるほどに辛い体験ではありました。しかし、そのことを通して得たものに父は大いに満足し、81年の地上の生涯を終えました。
ところで、障礙者の子として生まれ育った私ですが、父の障礙を恥じたり恨んだりしたことは一度もありませんでした。確かに、他の父子がしているようなキャッチボールができなくて残念に思ったことはありましたが、自転車を教えてもらったことが強烈な記憶として残っています。
全盲の父が家の前の公道を風を切って自転車を走らせた姿に、幼心に「僕のお父ちゃんは、凄い!」と誇りに思ったことを、今でも鮮明に想い起こします。
キリスト・イエスが聖書中で語ったように、神罰による「因果応報」などないと信じます。あるのは、主(しゅ)なる「神の計画」のみです。
最後に、エドナ・マシミラ(ダウン症の娘:ルーシーを育てたアメリカのキリスト教会牧師夫人)の詩を紹介します。
「天国の特別な子ども」
エドナ・マシミラ(訳/大江裕子)
会議が開かれました、地球からはるか遠くで。
「また次の赤ちやん誕生の時間ですよ」
天においでになる神様に向って 天使たちは言いました。
「この子は特別の赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。
この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。
もしかして 一人前になれないかもしれません。
だから この子は下界で出会う人々に
とくに気をつけてもらわなければならないのです。
もしかして この子の思うことは
なかなかわかってもらえないかもしれません。
何をやってもうまくいかないかもしれません。
ですから私たちはこの子がどこに生れるか
注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯がしあわせなものとなるように どうぞ神様
この子のためにすばらしい両親をさがしてあげて下さい。
神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。
その二人は すぐには気がつかないかもしれません。
彼ら二人が 自分たちに求められている特別な役割を。
けれども 天から授けられたこの子によって
ますます強い信仰と 豊かな愛をいだくようになることでしょう。
やがて二人は 自分たちに与えられた特別の神の思召しを
悟るようになるでしょう。
神から贈られたこの子を育てることによって。
柔和で穏やかな この尊い授かりものこそ
天から授かった特別な子どもなのです。」
「第6回/全国小・中学生 障がい福祉ふれあい作文コンクール」の入選作品を目にする機会がありました。
障礙ある兄弟姉妹や親への思いが率直に綴られており、そのすべてに心動かされ感動しました。是非、お時間のある時に、下記URLから子どもたちそれぞれの作品を読んでみてください。