ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
「怒ると叱るは違います。怒らないで、叱るようにしましょう」と、育児書にそう書かれているのを目にされたことがあるかもしれません。『的を射て真なり』という気もしますが、そもそも“怒る”は感情を、“叱る”は目下(めした)の者をとがめる行為をそれぞれ表現する言葉で、並列し比較対照することには少々無理があることを思います。それに、多くの親が“怒ってばかりで叱っていない” 訳ではなく、実は“ 怒りながら叱る” ことをしているのではないかと思います。私はそれで良いと思っています。人間なんだから感情的になるのは当たり前。その感情のエネルギーの強さに、子どもは親の本気度を推し量りもするからです。ただし、だからといつもいつも力任せに全力で怒りのエネルギーを放出していては、子どもが心傷( トラウマ) を抱えてしまったり、逆に麻痺したりもしますから、内容に応じた強弱に配慮をする必要があります。その上で、私たちが自らに問わなければならないのは、私たち親が何に対して“ 怒り” を表出しているのか、ということなのでしょう。
そもそも、私たちはどんな時に“怒り”を感じるのでしょう。
①「対象(相手)が正しくない(間違っている)」時
②「対象(相手)が思いに適(かな)わない」時
私たちがこのように思う背景には、
『○○で、あってはならない(禁止)』
『○○で、あらねばならない(倫理)』
『○○で、あるべき(良識・道徳)』
などの価値観が関わっていて、心理学ではこれらを“超自我”と呼んでいます。
“超自我”は親によって心の深層に植え付けられる“規範”のことを言いますが、この規範を植え付ける働き掛けの方法の一つが“叱る”という行為です。
ところが、私たちが“怒り”を感じる要因は他にもあります。それは、
③「自分が否定された」時
④「自分が不当に扱われた」時
⑤「自分が無視された」時
一言で言うなら、“自尊感情を傷付けられた時”です。
本来、①②群と③④⑤群は分けて考える必要があるのですが、やっかいなのは、そこに混同が生じると
①「対象(相手)が正しくない(間違っている)」vs『私は正しいのに…』
②「対象(相手)が思いに適わない」vs『私があなたに適うようどれほど努力していると…』『私を否定?/私を攻撃?』『私を認めてない?』『私を無視?』
といった具合に、“自尊感情(自己肯定感)”を傷付けられたと勘違いし、過剰防衛として“怒り”のパワーを乱用してしまうということが起こります。
Child Abuse(児童虐待)のAbuseの直訳は「乱用」です。大人が子どもに対して力を乱用する時、虐待と同じ構図が出来上がってしまうのです。つまり、親が“自分の自尊感情が傷付いた腹いせ”に怒っている状態です。
そうした状態に陥(おちい)らないためには、どうすれば良いのでしょうか。
お分かりのように“自分(親)のために”でなく、
“相手(子ども)のために”今という絶好の機会に、問題・課題と向き合わせる目的で、あなた自身をもっと大切にしなさいという思いで“怒る”のです。
このような怒り方をする時には、③④⑤の怒(おこ)り方はできません。当然、“怒(おこ)り(叱り)”を受け留める子どもの心のキャパ(容量)を推(お)し量(はか)りながら、放出する感情のエネルギー量も親の側で調節します。何故なら、相手のためにならない闇雲で無鉄砲な“怒(おこ)り(叱り)”では、そもそもの目的(間違ったor適っていない言動の修正)を達せられなくなってしまうからです。
③④⑤で“怒(おこ)る”のは自己愛(=自己満足)に他なりません。子どもはそういう親の自己中心的な怒(おこ)り方を繰り返えされると、健全な超自我(規範=心の制御弁・ブレーキ)ではなく、服従心だけを学習します。そうすると自分自身で善悪を考えたり判断しなくなり、親の判断に従うだけの“依存”を強めることになります。親の前ではいうことを利く善い子に見えて、それは隷従(れいじゅう)に過ぎず、親が視界に入らないところでは弱者に対して力を乱用することを模倣します。そして、将来自らの心に自我理想〔○○で、ありたい〕を育めなくなったり、自己中心的で身勝手な自我理想を描くようになってしまいます。
“怒(おこ)る(叱る)”という行為は、子どもを支配することでも、ねじ伏せることでもありません。子どもの心に規範を育てる教育行為なのです。言い換えるなら、愛によって発動される“修正”と言えるかもしれません。私たち親が伝えたい究極、それは結局のところ『愛しているよ』ということなんだろうと思います。愛しているから“怒る”んです。
もしも、我が子の言動に“カチン!”とくるような時には、5~6秒間深呼吸しながら③④⑤が自身の心に渦巻いていないかチェックしてみてください。そして、もしも自分自身(親)のために怒っている感情をそこに見つけたなら、その感情を封印し、その上で我が子のために①②で“怒りながら叱る”ようにしてください。
超自我は、親からもらう心理規範で、社会生活を送る上での大切なパスポートの機能を果たすものですが、③④⑤と共に植え付けられた歪(ゆが)んだ超自我は、思春期に自我を攻撃し精神疾患を誘発する等、諸刃(もろは)の刃(やいば)とも成り得るものです。
お父さん、お母さんご夫婦で互いの怒り(叱り)方をチェックし合い、もしもどちらかに③④⑤の傾向が強まっている時には、何かしらストレスを抱えているサインです。パートナーの心に耳を澄ませ、寄り添って話を聴いてあげてください(夫婦カウンセリング)。そうやって互いの心のバランスを支え合い、ゆとりを持って我が子に接することが何より大切なポイントです。一人親の場合には、ご自身の親(子どもにとっての祖父母)や兄弟姉妹(伯父伯母/叔父叔母)、親しい友人他に話を聴いてもらうなどサポートしてもらうと良いでしょう。