ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
シリーズ発達9「感情の発達」で記述した通り、自閉症児、自閉症傾向(発達障礙)児(ASD、ADD、PDD、AD/HD、アスペルガー障礙〔高機能自閉症〕他)が有する特性は、感情発達が何らかの理由で「不安」vs「安心(対象恒常性)」の獲得段階で躓(つまづ)き、後の発達途上に一過的・短期的に顕(あらわ)れてやがて目立たなくなるはずの発達特徴が固着化し、長引いている状態にあると考えられます。
今回は、その中の主だった特性一つひとつについて考えます。
(1)視線回避(対人緊張・対人不安・対人恐怖)
根底には侵入(侵襲)不安があります。原始的反応に近く、相手と目が合うと何をされるかわからない予期できなさに、不安感もしくは恐怖心を抱きやすいため他者の視線を回避します。一見、対人意識が低く見えますが、むしろ対人意識が高すぎる反応と捉えることができます。
時間は掛かりますが、相手と目を合わせる度に楽しいこと(快=心地よさ)を繰り返し経験し、安全・安心が理解できるようになると次第に視線回避が減少するなど対人への不安を軽減させます。対人への興味・関心が高まり、子ども自らアイコンタクトを取るように変わっていきます。
(2)想像力の乏しさ
想像力の乏しさは、同時に見通しの持てなさでもあります。しかしそれは、侵入不安をベースに他者との関係を回避してきたが故の経験の乏しさに基づくものです。そのため、自己視点で想像することが精一杯で、相手の視点や立場に立って想像することを苦手とし、相手の感情を想像することに特に困難さがあります。
繰り返し経験を積むことで、ある程度想像力は増しますが、思考の未熟な子ども時代には、過去の経験を類似する事柄に応用(汎化)して予測したり想像することはうまくできません。
経験を増し重ねることが当初の目標ですが、事前にこれから行われることについて具体的に説明したり、シミュレーションを示したり、リハーサルを行うなど、想像力を補うことでパニックを回避できる場合があります。
(3)パターン行動・儀式行為(レギュラーへの依存)
考えると不安を強める(葛藤する)ことを経験的に知っており、あえて思考せずAという刺激のインプットに対してはBというアウトプット、Cという刺激にはD、EにはFとアウトプット行動をパターン化させ、『こうしておけば大きく失敗しない(葛藤しないですむ)はず』と、一つひとつの行為に沿った自分なりの行動様式(過去にうまくやり過ごせた印象を強く残す言動の経験に基づく)を組み立てます。心理的には“葛藤を回避”するためにパターン行動(ルーティーンや儀式行為)に依存すると考えられます。
幼児期の反響言語(エコラリー、オウム返し)、学童期以降の場にそぐわない敬語の使用などもパターン化の一つの形です。一度パターン化すると強迫(意思や観念が支配的になる状態)を強めて“せずにはいられない行動”になり易く、一連の過程で途中つまづくと始めからやり直さないではいられなかったり、行為を抑制・制止されることを極端に嫌います。
(4)イレギュラー・新規場面への臨機応変対応の困難さ+パニック
不可抗力等で(3)に記したパターンが崩されたイレギュラー場面や未経験な新規場面に、どう対応(対処)して良いか判断できなくなり、混乱してパニックに陥ります。パターン(行動)を維持・継続できなくなると、否定(or攻撃)された思いを強めて被害的に受け取り易い傾向を有します。
パニック時に特定の大人が寄り添うことを繰り返すことで次第に侵入不安が和らぎ、対象となる大人との間に愛着(アタッチメント)が芽生えます。そうなると不安が高まった時に自ら補助自我(心の安全基地=この人と一緒にいれば大丈夫)としての対象を探し求めるようになり、一緒に過ごすことで気持ちの切り替えが楽になっていきます。こうした積み重ねでパニックからの回復時間が短くなり、大パニックは徐々に小パニックへと変わっていきます。
『レギュラーパターンに戻さねばならない』という強迫観念を解放し、『なんとかなるもんだ』という安心を心に育てる(積み上げる)ことが支援のポイントになります。
(5)ボディーイメージ(身体感覚)形成の難しさ(協応動作獲得の困難さ)
パターン的な行動・動作の固着化により動作的経験不足になりがちで、動作・行動が直線的であることが多く、なめらかでしなやかな曲線的動作・行動を苦手とします。そのため描画やハサミによる裁断も直線的で、曲線を描いたり切ったりすることが難しく、体を大きくしならせて弧(曲線)を描くボール投げ等、なめらかでしなやかな動作も一定の時期を逃すと習得が困難になります。体操やダンス等もタイミングが遅れやすく、手首・足首のその先、指先まで意識しながら動作することを苦手とします。
こうしたボディーイメージの形成の難しさは、身体境界意識の乏しさにも繋がっており、注意定位力の低い幼児期・学童期には不用意に手足や頭をぶつけたり転ろびやすかったりなど、生傷の絶えないことがあります。
大きな鏡等を使って、楽しく自身の体の動きや境界を確かめながら運動する経験を増すなど、感覚統合としてボディーイメージを育み形成することは、幼児期の重要な課題の一つです。
(6)思い込み、思い違い、修正のしづらさ
自己中心性が強く注意が散漫で、指示を最後まで聴かないままに過去の経験に照らし、思い込み(一方的決めつけ)で行動を開始してしまいます。思い込みの強さから思い違いに気付けず、間違いを指摘されても受け入れ難く修正できないままに混乱しがちです。結果を急ぐあまり、途中のプロセスが雑になりやすい傾向にあり、イメージ通りに事が進まないと途中で投げ出してしまうこともしばしばです。また、他者からの修正を攻撃と受け留め易く、自尊感情(自己肯定感)の低さから反撃に転じてしまうことがあります。
但し、これはAD/HDなど多動系の子ども、愛着障礙系ならびに情緒障礙系の子どもに見られる特性で、失敗を恐れるがあまりの、勇み足による空回りと言えます。本人的には頑張ってるつもりでも評価が得られず、自ら自己肯定感(自尊感情)を下げる悪循環に陥り易いため、なかなか報われません。
『失敗しても大丈夫』という安心感(心からの他者への信頼)を育てることが、まず取り組むべき課題になります。
(7)常同(じょうどう)行動・行為
目の前で手をひらひらさせる。同じ場所でピョンピョン跳ねる。同じ場所で駒のようにクルクル回る。一定のリズムで体を前後・左右に揺する。パターン的な発声・発言を繰り返す。蛇口から流れ出る水、柵や地面タイル、扇風機の回転する羽根越しに見える光のチラチラ感、特定の周波数ノイズなど、光刺激や音刺激他に没頭(過集中=心理的に外部からの刺激を遮断し自分だけの世界に没入)します。
以上は、喜怒哀楽の感情が高ぶっている興奮時や、逆に刺激に乏しい退屈な時に表われやすく、不安が高まっている時に行う場合もあります。自己刺激にハマることで心の状態(High or Low or 不安)に関わりなく、『いつもと変わらない自分であること』を確認する無意識的行為と言えます。
幼児期には可愛らしく見える仕草も、成長に従って異様な行動として周囲に写りやすく、社会的に認められやすい動作へと移行させるか、若しくは人前を避けて行うよう誘導することが長期的な目標となります。
常同行動は「止(や)めなさい!」と意識化させるより、強い興奮を伴わないで楽しみながら取り組めるものを見つけ一緒にするなど、人刺激を介することで少しずつ常同行動を忘れさせる(しないですむよう誘導する)ことが良いと思われます。
(8)固執(こしゅう)性
本人的には、一旦身に付けたパターン(行動)を維持し、パニックへの不安を打ち消す若(も)しくは葛藤の回避を目的として拘(こだわ)りを強めていきますが、子ども時代には固執性によって将来社会生活がしづらくなることにまで考えが及びません。
食行動にも、決めた食材、色味、温度、食感、調理法等に拘(こだわ)る“偏食”として顕(あらわ)れ易く、食以外にも同じ物や同じカテゴリーの物を集めて並べるなどのコレクション行動、マイブーム他に顕(あらわ)れます。
一旦拘(こだわ)りを強めると、自ら視野を狭めて他の刺激や意見を遮断したり拘(こだわ)ること自体に拘(こだわ)るようになり、修正が困難になります。他者からの修正に対してパニックを引き起こすこともありますが、(4)後半に記述のように修正を受け入れるためには、特定の大人との愛着(アタツチメント)及び信頼(ラポール)の形成が欠かせません。
標準以上の高い知能を有するアスペルガー障礙(症候群)〔高機能自閉症/サヴァン症候群〕では、拘(こだわ)りが功を奏して、一部に芸術家や学者(ニュートン、エジソン、アインシュタイン、岡本太郎他)として大成する者、エンジニア(職人)として力を発揮する者もあります。
(9)感覚(知覚)過敏
(8)に関連し、味覚、食感、触覚(皮膚感覚)、温度感覚、嗅覚、聴覚、視覚(光量、色、形状他)、清潔等の感覚が鋭敏になり、嫌いなもの好きなものに極端に強迫的な拘(こだわ)りを示すかと思えば、逆に鈍麻(どんま)する感覚もあるなどアンバランスであることが多いように思われます。およそ本人も忘れている過去の体験(不快-快)と結びついていることが多いようです。
多くの場合、聴覚に関してシグナル(信号)とノイズ(雑音)の両方を同音量で取り込みやすく、必要な聴覚情報を弁別して聴き分けることを苦手とします。
例えば、一般に私たちは高速道路を走行中カーオーディオを聴く場合に、エンジンやタイヤの走行ノイズを脳内で下げ、スピーカーから流れ出る音楽に集中することでノイズを殆ど気にしないで済ませることができます。また、工事現場や踏切り近くなど大騒音の中でも特定の人の声の周波数に集中し会話できたり、私たちは無意識に脳内でノイズリダクション(雑音低減・除去)を機能させますが、こうした働きが未成熟なため困難です。
また、視覚も同様に刺激物が多く目に入る雑然とした空間では、注目すべきサインを弁別することが難しく混乱を来しやすい特徴を有します。
このため、環境整備として聴覚的・視覚的構造化(余分な刺激を取り除いて図と地の関係を明確にし、集中すべき対象を浮かび上がらせる)の工夫が有効となりますが、少しずつ聴覚的・視覚的ノイズへの耐性及びノイズリダクション機能を育み、将来的には脱構造化へと導くことが目標となっていきます。
(10)コミュニケーションの難しさ・空気の読めなさ
コミュニケーションは意思や情報の伝達を意味する言葉です。しかし、私たちは一般に本当に必要な情報は2割程度なのに対し、不必要な情報のやり取りに8割近くもの時間を割いてコミュニケーションを図っていると言われます。だからと8割が無駄なのではなく、2割の情報の価値(信頼性、信憑性)を後押しする関係性の構築にそうしている暗黙の意図を汲み取ることが困難で、それら8割を無駄・邪魔な情報・やり取りと感じてしまいがちです。
また、(2)に関連して、他者の感情を推(お)し量(はか)る(想像する)ことを苦手とし、場の空気が読めなかったり、言葉を字義通りに受け取りやすく、誰もが行間から読み取る意図が汲(く)めず、比喩(ひゆ)や皮肉、冗談が通じにくい面があります。
加えて、他者に自分の言動がどう受け留められているかを感じ取る“メタ認知”が未発達なため、感じたまま思ったままを口にし場違いな言動をしがちで、デリカシーに配慮するなどを苦手とします。
例)「○○さんが太っているのはリバウンドですか?」「○○さん、髪の毛薄いのに植毛しないんですか?」「○○さん、おじいさんが死んだのにどうして泣いてないんですか?」など、失礼な発言も言っている当の本人に全く悪気はありません。悪気がないから余計に大きな声で言ってしまったりします。
他者が大勢いる前で本人のデリカシーを欠いた言動を指摘することは『恥』に結びつくため、できるだけ直後に場を変えて1対1場面を設け解説(本人の言動が周囲の人の感情にどう作用したかについて)を与える支援が求められます。
(11)調節・融通の難しさ
「正しいか、間違っているか(○か×か)」、「0か、100か」と単純化して判断し易く、“ほぼほぼ正しい”や“正しくはないが悪くはない”や、“30”や“50”、“70”など中間点(まぁ、このくらい)で折り合いを付けることを苦手とし、周囲に融通が利かない印象を与えます。
これは行動においても同様で、適度(適切)な力加減や丁度良い塩梅(あんばい)への配慮が難しく、声のボリュームが大きすぎたり、全力で相手を突き倒してしまったりなど、場や相手、物事に応じた加減を苦手とします。
工夫として、予(あらかじ)め力加減やボリュームを数量化してリハーサルしておき、必要な場面で「今は5の力」「今は3の声(の大きさ)」などの指示や手がかりを与えることで、子どもにどうしたら良いかが判りやすくなります。幼児期には「とっても大きい」「大きい」「中くらい」「小さい」「とっても小さい」等3~5段階程度の数量化が理解しやすいかもしれません。
こうした経験を重ねながら、徐々に子ども自身に数量を決めさせるよう誘導していきます。数量がはっきりすると定めた数値に対しての「○か×か」「0か、100か」が明確になるため、安心して取り組めるようになります。
※似て非なる状態として、「正-否」ではなく「白か黒か=味方か敵か」の極端な判断をする愛着障礙系の子どもがいます。これらの子どもも中間色グレーを受け入れることができません。
(11)の反応との鑑別が難しく、周囲から同様の反応として捉えられがちですが、心の状態は異なるため注意深い観察が必要です。
これは、かつて乳幼児期に獲得した対象恒常性が被虐待など外部の力によって破壊されている状態にあると推論でき、こうした子どもは「愛着」によって人と繋がることができません。暴力等により対人関係を「支配-被支配」で繋がるものと誤学習しており、弱者に強く、強者に隷従する関係性を築こうとしてしまいがちです。将来的に交友関係、恋愛関係、夫婦関係、自身の子との関係に強い悪影響を及ぼすため、早期の専門家による心理治療(情緒の書き換え)が望まれます。
以上に記(しる)した11の特性すべてが自閉症児・自閉症傾向(発達障礙)児に顕在化する訳ではありません。子どもによっては二つ三つだったり、八つ以上だったりとまちまちですし、それぞれの特性にも強弱があります。また、子どもによってはここに書かれている以外の、その子に特有の特性(過覚醒や睡眠リズム障害など)を有している場合もあります。ただ、一般に比べ不安を抱えやすく「不安耐性」や「ストレス耐性」の低いことが、これらの子ども全てに共通して言えることです。勿論、一人ひとりの抱える「不安」にも強弱があり、「恐怖」のレベルに達している場合もありますから、一人ひとりのレベルに応じた寄り添い(対応)が求められます。
冒頭でも触れたように、これらの特性は誰もが発達の途上で一過的・短期的に経験する発達特徴です。幾つかを自身の性格に取り込んで大人になる者もありますが、自閉症児・自閉症傾向(発達障礙)児が抱える困難さは、上記特性(症状)を自身でコントロールできずに振り回されてしまう点にあります。
幼い時期には外部でコントロールを助けながら、セルフコントロールできるよう導くことが療育(発達支援)の目標となります。
※知的能力の高いアスペルガー障礙(症候群)や高機能自閉症の子どもが、十分な感情発達を得られない場合に、成長に伴って感情のベースが「不安-恐怖」から
「不全」 →「自責」 →「他責」 →「他罰」へと変遷しやすい傾向にあることを思います。大半が、成長の過程で社会の壁にぶつかって不適応を起こし、鬱状態を併せ持って「自虐」の傾向を強めますが、自己中心性の強さによっては家庭内暴力等の行動化(アクティングアウト)に繋がる場合もあるため注意が必要です。
以上は、私が臨床場面で出会った子どもたちの特性および症状をまとめたものですが、本人が自身の特性から社会の壁にぶつかりダメージを受けた時に、支える家族をサポートする専門家が子育てを伴走するシステムの構築が望まれます。