ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
この世でいちばん速いもの
神様が最初に発せられた命令
それが光
もしも光がなかったなら
闇は闇と呼ばれなかった
もしも光がなかったなら
色は存在しなかった
もしも光がなかったなら
光合成による酸素は産まれなかった
もしも光がなかったなら
わたしはあなたがどんな顔をしているか知ることがなかった
社会福祉法人「光の子会」は、聖書:エフェソの信徒への手紙5章8節「光の子として歩みなさい」を法人の理念としています。
しかし、「光の子として歩む」ってどういうことなんでしょう。「光の子」という言葉からは、なんとなく「明るい」「元気」といったイメージが湧いてきますが、なんだか分かるようで分からないですよねぇ。でも、冒頭の詩にもしたためたように、私たちに光は在って当たり前で、光の無い世界などなかなか想像できません。
そして光は目に見える光(可視光線)ばかりではありません。目には見えないけれど存在している光には紫外線、赤外線、レントゲンの X 線などがあって、この他にγ線、宇宙線、電波(電磁波)なども光の一種に数えられます。光は見える見えないによらず、あらゆるものを照らし、届け、養い、変化をももたらします。
聖書:エフェソの信徒への手紙5章9節には、光について次のように書かれています。「光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。」それぞれに反対語を並べ書き換えてみると「悪意なく、不義なく、虚偽がないこと」と表現できます。「光の子として歩む」とは、そのような心で一歩一歩を確かめながら前に進んでいくことを表しているのです。
そして聖書は言います。「あなたがたは、すでに主に結ばれて光となっている」と。つまり、善意と正義と真実は努力目標としてあるのではなく、私たちが既にそうした性質を帯びていることを示します。光の子として与えられている性質そのままに歩みなさいということです。そう考えて光の子会に集う光の子たちを見ると、真(まこと)にそのような者であるなぁと気付かされます。
私たちに善意を示し、正義を示し、真実を示してくれる存在として障礙の有る無しにかかわらず「共に生き、共に生かされている」恵みに感謝します。