ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
中学生の頃、喫茶店にインベーダーゲームが初めて置かれました。1回100円。興味はありましたが、お小遣いがもったいなくて使ったことはありませんでした。高校生になって電器修理店の息子と友だちになりました。そいつの家にはリビングにインベーダーゲームが置いてありました。どうやら潰れた喫茶店から引き取った物のようで、100円玉を投入しなくてもできるようにお父さんが改造し、やりたい放題やらせてもらいました。
間もなく、任天堂からファミコンが発売されましたが、私の中の玩具に対する価値基準では考えられないほど高価なものでした。
その後、更に高価なセガサターンやプレイステーションが発売され、玩具に対する一般の価値基準は次々と塗り替えられていくことになります。しかし、どうしても私はその辺の基準を塗り替えることができず、遊びに数万円ものお金を消費することができませんでした。というより、それ以上に、ハマってしまったら抜け出せなくなる麻薬性を感じて恐れていたんだと思います。
結婚し、子どもができてからも同様で、家にゲーム機は置いていませんでした。しかし、我が家以外の90%以上の家庭にはゲーム機があり、そのことが子どもの不満になっていました。
「どうして、うちには無いの?」
という小学3年生の息子は、友だちの家でテレビゲームをする時に、普段やっていない自分が友だちに敵わず面白くないことを理由に買って欲しいと言いました。私は、リビングのテレビを占有されるのも、子どもの視力が低下するのも嫌だったので受け付けないでいました。
ある日、姉弟で作戦を立て、夕飯の席で流行りの“たまごっち”(携帯ゲーム機)なら持っても良いかと要求してきました。夕飯後の家族会議。妻と私は1週間のお試し期間を設けようと提案。子どもたちは、持てるなら何でも良いって感じで、すんなり以下の条件を受け入れました。
①ゲームはリビングですること。
②家族の時間を一番にすること。例えば、お母ちゃんから「ご飯よ」とか「お風呂に入りなさい」とか「お手伝いして」と言われたらすぐにゲームをやめて行動すること。
③宿題を終わらせてからにすること。
④午後9時には終了すること。
以上の条件でちゃんと自己管理できるなら、その後の携帯ゲーム機の所持を認め、テレビゲーム機の購入についても前向きに検討することを伝え、日曜日に“たまごっち”を二つ買ってそれぞれに貸し与えました。さてさて、結果は…
初日はどうにか条件をクリアできたものの、二日目からは、ほぼなしくずし状態で、妻と子どもたちの関係は険悪になっていきました。そして迎えたお試し終了後の家族会議。まず子どもたちに1週間を振り返ってどうだったか尋ねました。
2人ともうなだれて声が出ません。そこで、質問を変えました。
「お試しが始まる前の家族と、始まってからの家族の関係は、どっちの方がいい?」
すると2人とも
「お試しが始まる前の方が良かった」
と答えました。
私が
「じゃぁ、どうする?」
と問うと、2人は
「返す」
と言って“たまごっち”を差し出しました。
それから3ヶ月ほどが経ちました。巷(ちまた)で“携帯テトリス”が流行り始めた時期でした。“テトリス”は“たまごっち”と違って餌をおねだりすることがないので、子どもたちは『今度こそ!』と思ったようでした。家族会議をし、再び同様の条件でお試しをスタート。しかし、結果は同じ。ようやく2人は携帯ゲーム機、テレビゲーム機の所有を諦めました。
同じ頃、2人ともスポーツ少年団の野球チームに所属していて、お年玉貯金から用具を買ったりしていました。そして、息子が中学に進学する時に同じ貯金通帳から欲しがっていたエレキギターを買って与えました。息子はそのギターを担いで高1の冬から1年間オーストラリアに留学。現地の同級生に本格的にギターを習い、帰ってきた時には「ミュージシャンになりたい」と言ってましたが、そのとき、17才の息子はこんな風にも言いました。
「小さい頃ゲーム機を買ってくれなくて、『なんて酷い親だ』って思ってたけど、うちにゲーム機が無かったことで少年野球やバドミントン(県内ベスト8)やギターに熱中できたし、そのおかげでスポーツやアートを通じた友だちが沢山できたんだって思える。お父ちゃんには、本当に感謝してる。」
結局、息子は夢だったミュージシャンには挫折しましたが、ユーチューバーの活動を足掛かりに映像クリエイターの会社を起業。沖縄を拠点に世界中からオーダーをいただいて各国を飛び回っています(現在はコロナ禍のため国内限定ですが…)。
実は、昨年封切られた映画「門司港ららばい」のスタッフにも加わり、編集のキャップを務めさせていただきました。また、光の子会のホームページに掲載のショートムービーも息子の制作で、無償で寄附してくれました。その他にもGreeeenやHYのPVなんかも撮らせていただいているようです。
https://www.youtube.com/user/ayumu822
一昔前とは違って、Eスポーツがプロ化しオリンピック競技にも加えられようかという時代。今やゲームは“遊び”のカテゴリーではくくれなくなってきています。これからは、プロを目指す子どもたちのためにゲームのテクニックを教える塾があちこちに開校するなんて時代が、すぐそこまで来ているのかもしれません。
ゲームは、現実逃避には最高のアイテムです。誰だって逃げたくなる時はあるし、場合によっては逃げることも必要です。大切なのは、ゲームの後にちゃんと現実に戻ってこられるということなんでしょう。オン・オフを切り替えながら上手に付き合っていきたいものですね。