ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
生まれたての赤ちゃんは何もできないように思われていますが、実は成長・発達するための“種(たね)”を持って生まれてきます。『お母さんのお腹の中で誰にその種を与えてもらったのだろう?』と不思議に思いますが、これらの種のことを専門的には“原始反射”と呼び、30ほどが確認されています。反射は随意(意識)的な動作ではなく、赤ちゃんの意思に関係なく不随意(無意識)的・自動的に発動されるもののことを言います。
例えば、「吸綴(きゆうてつ)反射」…唇や唇の近辺に何かが触れると、自動的に唇を丸めて吸おうとする動作を繰り返します。これは、母親の乳首に吸い着いて母乳を吸い出すための動作ですが、近年お腹の中を撮影したエコー画像で、胎児が“指吸い”をし哺乳の練習をしていることが分かっています。そう考えると、この反射は誕生前から始まっていると考えることができますが、いったい赤ちゃんは将来乳首を吸うことをどうやって知ったのでしょう。
他にも「(自動)歩行反射」があります。
誕生したばかりの赤ちゃんの脇を抱えて立位を保ち、両足の裏をベッドのマットなど平坦な部分に触れさせると、まるで二足歩行するかのように足を左右交互に出したり引いたりします。将来二足歩行をすることを、いったい誰から教わったのでしょうか。
そして「(手掌)把握反射=握り反射」
手のひらに何かが触れるとギュッと握りしめます。赤ちゃんに自分の指を握ってもらったお母さんやお父さん、お姉ちゃんやお兄ちゃんは「握った~!」「握ってくれた~!」と大喜びしますが、これも反射です。赤ちゃんは意図して握っている訳ではなく、姿勢を保持し重い頭部を護(まも)るために、この反射が備わっているのだろうと考えられています。
この他にもモロー反射、探索反射、パラシュート反射などいろいろありますが、いずれも先天的にプログラミングされて生まれてきます。この“種(原始反射)”を基に発達・成長のプロセスを辿り、一定の動作を獲得した段階で原始反射は消失します。消失の時期はさまざまですが、不思議なことに事故などによって脳に損傷を受けた場合などに再び出現することも分かっていて、どうやら原始反射は完全に無くなってしまう訳ではなさそうです。そういう意味においては“消失”ではなく、反射を“抑制”あるいは“制御”できるようになると消失したように見える、と考えることが正しいようです。
さて、これらの反射が“種”として、その後どのように開花していくのか、一つの例を取り上げてみましょう。
「微笑み反射/Angel Smile」(生理的微笑み)
生後4~5時間から出現する反射で、授乳後などによく見られます。どういう反射かというと、その名の通り微笑んでいるように見える反射です。この反射がいったい何に結びつくのかといえば、“愛着”と“コミュニケーション”そして“言語”の獲得です。まあ、言ってしまえば「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなことですが、そのプロセスを紹介します。
「(手掌)把握反射」同様、「微笑み反射」も、冒頭に記(しる)したように不随意的な筋肉の自動運動ですから、そこに赤ちゃんの意図は働いていません。しかし、指を握ってもらった親も、微笑みを発見した親も、『私に~♥』と思い込んで大喜びしながら赤ちゃんに働き掛けます。実は、この“勘違い”または“誤認”も“発達”がプロデュースする重要なプログラムの一つなんです。
喜びと共に愛情一杯に繰り返される母親の反応に、ある時赤ちゃんは、
『どうやらほっぺの筋肉が収縮すると、お母さんが心地よい関わりをしてくれるらしい』
という相関に気が付きます。そして、そうに違いないと確信した段階で赤ちゃんには一つの野心が芽生えるのです。それは、“不随意に起こっている頬の筋肉の収縮を、随意的に制御(コントロール)できるようになりたい(本能的感覚なので思考ではありません)”というものです。密かに練習し、やがて頬の筋肉を随意的に制御できるようになると、お母さんが自分を視ているタイミング(アイコンタクト)を捉えて、意図的に頬の筋肉を収縮させるようになります。この段階における親側の『私に~♥』という認識は、もはや“勘違い”でも“誤認”でもありません。
このようにしてコミュニケーションの第一歩が踏み出される訳ですが、自分を見つめて微笑む我が子に、お母さんもお父さんももうメロメロ。頬ずりをしたり優しく声掛けしながら、身体を揺すったり、ハグしたり、キスしたり、赤ちゃんが心地良いと思うであろう、ありとあらゆる方法で働き掛けます。
この時間も、赤ちゃんにとっては重要な学習の場面です。お母さんお父さんが先述の働きかけをする際に、必ず発声を伴っていることに気付きます。そして、それまでの泣き声や喃語(発声そのものを楽しむ連続音/アウ、ンマ、アブブ等)とは異なる意図的な発声を獲得していくことになるのです。
まず、“模倣”が始まります。
私の娘が生後2ヶ月を少し過ぎた頃、体育座りをして膝を立て、膝に娘の背中を持たれ掛けさせて向き合いながら、娘の発する喃語を「ウッ」と真似てみたことがあります。すると、娘は「ウッ」と応えました。たまたまの偶然であろうと、もう一回「ウッ」と言ってみると、また「ウッ」と応えます。こんな時に親は、もう有頂天です。『うちの子、もしかして天才じゃない?』なんて思いつつ、次に、まさかまさかと思いながら「ウッウッ」と言ってみると「ウッウッ」と応えました。親の欲望は更にエスカレート。「ウッウッウッ」「ウーッウッ」「ウッウッウー」と数パターンを試して、我が子の天才への期待は確信に変わり、もう親バカ全開。今にして思えば、青かったなぁ…と思いますが、青かったなりに愉しい日々だったことを振り返ります。
こうして発声の“模倣”を獲得すると、口唇筋肉の運動発達に伴って親の発語を真似、「マンマ」「ママ」「パパ」「バーバ」「ジージ」「メッ」「ナイナイ」など、意味を伴う発語(赤ちゃん言葉)を習得していきます。やがて“ジャーゴン”と呼ばれる不明瞭で意味不明な“ゴニョゴニョ喋り”(本人はちゃんと喋っているつもり…)で口腔を発達させながら“構音(こうおん)”を養い、次第に発音の明瞭度を増して一語文が二語文、二語文が三語文へと発達していきます。
“種”は放っておけば、種のままです。発芽させ双葉を広げさせるためには、養分を含んだ適温の土と適量の水が必要で、発芽後には光合成のための日光も必要となります。いつの時期にどの土に蒔き、どのタイミングで水やりし日光を浴びせるのか。更に育ってくれば、外の風に曝(さら)して強い茎を育てる必要もでてくることでしょう。
同様に、せっかく生まれ持った発達の種も、適切な関わりを得られないと花開くことができません。例えば、私たちは日々何気なく言葉を口にしていますが、勝手に習得した訳ではなく、先述のように適切な時期に適度な量の刺激を与えてくれた誰かがいたからこそ、私たちは何の問題もなく流暢(りゅうちょう)に言葉を喋れているのです。
子どもは様々な発達領域の“種”を基に、枝分かれし複雑化しながら発達・成長していきます。目の前の子どもの発達状態が、どの種から始まって今どの段階にあるのか。与えるべき適切な栄養や刺激は何なのかを見極めつつ、支援していくことが望まれます。