ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
序章に、適度で適切な苦難が心を鍛錬することについて書きました。
本章で取り上げるのは、与えられる苦難が適度でも適切でもなく、過度で不適切な状態=マルトリートメント・モデルです。
心は大福に象徴されるように、本来の姿は真ん丸です。その真ん丸な心が歪(いびつ)にゆがめられたり、表皮を破られて中の餡(あん)が外に飛び出すような苦難に曝(さら)される状況について、解説していきます。
(1)過保護・過干渉のモデル
図に示す通り、このモデルの特徴は強固な箱と分厚い緩衝材にあります。それぞれを一言で言い表すなら“囲い過ぎ”“包み過ぎ”と言えます。
●スキル(技能)習得過程の一例
“ボタンの留め外し”スキルの習得を例に考えます。
子どもが自分でボタンを留め外すためには、肘を曲げて前腕を宙で保持する筋力・粗大運動性、左右の手の親指、人差し指、中指を独立して動かす・巧緻運動性、目と手の協応運動性を一定程度獲得しておく必要があります。こうした発達のレディネス(準備態勢)が整っていない状態で、いきなりボタンを留め外しさせようとしても、当然のことながら獲得できません。
更に、『やってみたい』『独りで、できるようになりたい』というモチベーション(動機)を維持し続けるためには、達成感が必要ですから、最初は容易に達成できそうな大きめなボタンの外しから始めます。
①
大人がボタンを穴に半分位まで差し込んでおいて、最後の一抜きでミッションが完了するように提示します。そして引き抜くことが上手く出来るようになると、②
ボタンを予め1/3ほど穴に差し込み、残り2/3を引き抜けるようにし、次に③
留まっているボタンを穴に差し込む動作を教えます。これが、ボタン外し習得のプロセスです。勿論、できたときには思いっきり褒めて、『もっと褒められたい』という欲求を刺激しつつ意欲を引き出していきます。
ボタン留めも同様に、引き抜いて留め終わる完了動作から教え、達成感を味合わせながら、最後に④
ボタンと穴とを合わせる開始動作へと順序を逆に教えながら習得させ、慣れてきたらより小さなボタンに挑戦します。
●過保護・過干渉がこころ大福にもたらす影響
上記は、ほんの一例に過ぎません。しかし、こうした一連のプロセスを、過保護・過干渉のモデルでは、スキル獲得の発達レディネスが整っても、子どもが興味・関心を示しても、なかなかに挑戦させようとはしません。それは、親にとってタイミングが悪かったり、子どもの取り組む気持ちを作るのに時間や手間が掛かったりで、親がやってしまった方が面倒がなく仕上がりも綺麗にできるためです。はたから見れば、一見、何でもしてあげる甲斐甲斐しい親のようで、実はそうではありません。
こころ大福の視点で見れば、与えられるべき適度で適切な“苦難”を知らされないまま、心の表皮に超回復を起こすチャンスさえ与えられず、厚みを増すことのできない状態に置かれてしまうからです。いつまで経っても薄皮のままで弾力に乏しく、僅かなストレスやプレッシャーにも破れてしまう耐性の低い状態を維持することになります。つまり、一般には小さな傷も大怪我に繋がりかねず、そうなると『少しの傷も与えられない…』と、箱(枠)は自身を更に強固にし、緩衝剤も更に厚みを増し続ける悪循環に填(は)まりやすくなる訳です。
それでも、大きくなりたいこころ大福は、機会を捉えて自分でやろうと試みた時期(第一次反抗期他)もあったんだろうと思いますが、試みても試みても枠は拡がらず、“させてもらえない”、“選ばせてもらえない”、“決めさせてもらえない”状況が続くと、真ん丸の大福は箱(枠)の内壁一杯に膨らんで歪(いびつ)な四角い大福へと変形します。そして、自我を抑圧し他力本願に生きることを選択するようになります。つまり、自分でやる(向き合う)ことに喜びが感じられなくなり、意欲を削がれて『どうせ自分がやったって上手に(綺麗に)出来っこない…』と、そんな思考パターンが植え付けられてしまう訳です。極端な場合には、主体的・自発的に生きる意欲さえ損なわれます。
●過保護・過干渉の症例
中学2年生の年末に児童心理治療施設に入所した男の子がいました。
診断名は“強迫神経症”。小学校就学前に両親が離婚。それまで都会に暮らしていましたが、母と兄と共に母の実家のある山間部の田舎に移り住みました。母自身も子ども時代から強迫症状を有していて、出戻ったことで両親(祖父母)や自分(母)や子どもが周囲から後ろ指を差されるんじゃないかと強い恐れを抱いていました。恐れの余り、母は『きちんとすること』に全神経を注がないではいられない強迫観念に支配され、「子どもらが玄関を出る時には、完璧な姿で出してやりたかった」と当時を振り返りました。そして、この行き過ぎた観念は、僅かなズレも許せませんでした。
小学校に入学し、男の子は宿題を持ち帰るようになります。完璧を期する母は、毎日2時間以上男の子を宿題に向き合わせました。プリントに取り組ませますが、男の子が自分なりに考えて答えを書いても、最後の最後には全て母親の答えに書き換えさせられました。母の答えは完璧でいつも満点でしたが、男の子は次第に自分で考えることを止め、ひたすら母の正答を待つようになっていきました。こうして男の子は着脱衣をはじめ、全ての事柄について着せ替え人形のように母にされるがままになっていきました。
この他にも、男の子には手洗い強迫症状がありました。洗っても洗っても本当に綺麗になったかどうかが自分では判断できず、放っておくと数十分~1時間以上延々と手を洗い続けました。手洗いだけではありません。大便後のお尻拭きも入浴も、自分で完了が決められず延々と洗い続け、トイレや浴室から1~2時間出て来られないことがざらになっていました。こうした環境が知能の発達にも影響を与え、男の子は知的障礙(軽度~境界域)も併せて診断されました。
●親の想い
上述のケースは極端な例です。しかしながら、親が良かれと子どもに「してあげる」こと、それが行き届き過ぎる場合に、子ども自らが育つ機会を奪ってしまう。これが過保護・過干渉のモデルです。
そもそも、「してあげる」の「あげる」は、目上に使う謙譲語「上げる」で、目下の子どもに使う言葉ではありません。本来は「してやる」が正解ですが、それだとなんだか粗野に響いて、花にまで「お水をあげる」と、品格高い系の言葉遣いとして誤用が広まった感があります。まるで「してあげる」ことが良い親であるかのようなイメージやムードに酔い痴(し)れる、そんな魔法のワードが、昭和・平成の親たちに定着してしまったということなのかもしれません。ただ、ここでは単に言葉の誤用を問いたいのではありません。使う言葉によって歪(ゆが)められる意識の方をこそ問いたいのです。
親が率先して「行ってあげる」と、放課後の高校正門前に保護者の迎えの車列ができたり、入社式に保護者が同伴したり、独りでできる力が備わっているにも拘わらず、親の方から召使いの如くに奉仕を申し出る。そんな風物詩がいつしか当たり前になってしまっています。大人の側が子離れを引き延ばし、子どもの自立を阻んでいるようにさえ見えます。
私たちは親である前に人生の先輩です。故に、謙(へりくだ)る「してあげる」ではなく、上からの正しい目線で「してやる」というワードを使える者でありたいと思います。そして、子どもに出来ることや出来そうなことは、あえて「してやらない」判断が、時に子どもを育て、親をも育てます。任せてみれば子どもって、案外結構なことが出来るもんです。子どもに『失敗しても良い』ぐらいの懐の広さ、深さを示すこと。それが子どもの中に『失敗しても大丈夫』という安心を生み、チャレンジしようとするモチベーションを育むんだろうと思います。
●失敗から学ぶ権利
親の願い通りに育てようと思うこと、それは行き過ぎると子どもから主体を奪い、『自分の人生の主人公は自分である』という当たり前を分かりにくくしてしまいます。
確かに、親は自らの体験から『○○しておけば失敗しない』知恵を豊富に蓄積していて、それにより子どもを安全に導こうと考えがちですが、行き過ぎると子どもが失敗から学ぶ機会を奪ってしまうことにもなります。
小さな失敗や小さな怪我(ヒヤリ・ハット)を繰り返しつつ、失敗要因を分析し活かすことで、大きな失敗を回避しようとする考え方があります。ところが、失敗から学べないままに成長すると、取り返しのつかない大失敗や大怪我を負い、簡単には立ち直れなくなってしまったりもします。
小さな痛みの経験を重ねていれば、大きな痛みもある程度は想像ができ、周囲が抱える痛みや苦しみに想像を働かせることもできますが、そうでない場合には、他児(者)に対する感受性や共感性の育ちまでもが阻害されかねない。これが、過保護・過干渉モデルによって奪われる“育ち”の中身なのです。