ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
母の日の起源は今から100年以上前、1905年のアメリカでの出来事に遡ります。
ウェストバージニア州シアトル市のウェブスターという小さな町のキリスト教会で、日曜学校の教師をしていたアン・ジャービス先生が突然の病気で亡くなりました。
ジャービス先生はまるで日曜学校のお母さんのような優しい存在でしたから、悲しみに包まれた日曜学校の子どもたちが話し合って、翌年、ジャービス先生の命日(5月9日)に記念会をすることにしました。そして、その日には「教会へ集まって先生のお話をしよう」「先生のお嬢さんのアンナさんをお呼びしよう」と決め、その日を迎えました。記念会の日に、娘のアンナさんはお母さんが生前こよなく愛した白いカーネーションの花束を抱えて訪れ、亡き母に沢山のカーネーションを捧げたんだそうです。
この話が口々に広まって、お母さんに感謝する日を作ろうという運動になり、1908年にシアトル市で初めて「母の日」が制定され、運動は全米へと広がっていきました。アンナ・ジャービスさんの働きかけで連邦議会でも話し合われることになり、1914年に時の大統領であったウィルソンによって、5月の第2日曜日を「母の日」とすることが正式に発布されました。
ところでジャービス先生の夫は教会の牧師さんでした。ジャービス夫妻にはアンナ以外にもう一人視覚障礙の娘がいましたが、娘たちの幼い頃に牧師の夫を亡くし、ジャービス先生は女手一つで二人の娘を育てあげた苦労人でもあったんです。先生は夫の愛した教会で26年もの間教会学校教師として奉仕しながら、その生涯を終えました。
母の日の花にカーネーションが選ばれたのは、ジャービス先生が生前最も愛した花だったことがいちばんの理由ではあるんですが、実は、カーネーションはもともと母性愛の象徴とされていた花でした。というのも、十字架上で息を引き取るイエス・キリストをゴルゴダの丘で見送った、母マリアの瞳から流れ落ちた涙の跡に一輪のカーネーションが咲いたという言い伝えがあったからなんです。また、王冠にも似た花びらの形から、古くギリシャに花を編んで王冠(corona)を作る慣わしがあって、ローマでそれまで「ジュピターの花」と呼んでいた同じ花を、戴冠式を意味するコロネーション(coronation)と呼ぶようになり、カーネーション(carnation)の語源になったとも言われます。正にキングオブキングス(王の王)=イエス・キリストにふさわしい花として、子を思う母マリアが涙で咲かせた花だったと言えるのかもしれません。
こうした伝説を、牧師夫人のジャービス先生も多分知っていたんだろうと想像できます。
日本では1912(明治45)年に、全国のキリスト教会の行事として「母の日」が初めて記念されたと昭和25年の新聞が報じていますが、ちょっと時期が怪しくて、実際には、1915(大正4)年、青山学院大学の教授アレクサンダー女史によって紹介され、婦人矯風会などキリスト教関係の団体が中心となって広めたと伝えられます。それから昭和に入り、一時、日本の「母の日」は、当時の皇后陛下の誕生日3月6日(地久節)に変更されますが、第二次大戦後に再び5月の第2日曜日に戻されました。
母子家庭に育ったアンナさんの母への感謝は、とても深い感謝であったに違いありません。今年の母の日は、丁度アン・ジャービス先生の命日に当たります。あなたは、あなたのお母さんにどんな風に感謝を捧げますか?