ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
反抗期って、誰がそう名付けたんでしょう。全く大人目線の言葉で、子ども目線じゃありません。じゃぁ、子ども目線で言うとどうなるのでしょう。それは、「自己主張期」が相応(ふさわ)しいんじゃないかと思います。でも、一般的には反抗期で名が通っていますから、今回は反抗期で話を進めましょう。
反抗期は二度あると言われます。ただし、反抗が二度しかないという意味ではありません。大人になるまでにめっちゃ沢山親に反抗してきた人もあれば、あまり反抗してこなかった人もあったり、性格によってもまちまちで個人差があります。そして、中には「(第二次)反抗期がなかった」と言う人さえあります。ただ、心理学では総じて二度こうした時期を迎えると考えていて、一度目は幼児期、二度目は思春期と、人格的成長の節目に現れます。それでは順に見ていきましょう。
[第一次反抗期(第一次自己主張期)]
1歳半~2才頃に現れて、だいたい4才頃まで続き、最近では「イヤイヤ期」と呼んだりします。“自我の芽生え”と連動していると考えられていますが、いったい何がどう変わって突然親に反抗的になるのでしょう。
そもそも、生まれたばかりの赤ちゃんは、お母さんと自分が別の個体である認識さえあやふやで、それに気付けるようになるのは、下顎に前歯が生え始める生後6ヶ月頃の離乳期からと考えられています。
いつものようにお母さんの乳首にむしゃぶりついて、ちょっと強く噛んじゃった時に歯が当たり、その痛みでお母さんが赤ちゃんを体から引き離し、『気持ちよくおっぱいを飲んでいたのに、なんで?』という体験をします。そして、何度かこの体験が繰り返される中で、“ちょっと強く噛んだら引き離される-だから、強く噛んじゃいけないんだ”という相関を学習する一方で、お母さんだけが痛みを感じていることから、お母さんと自分が一体ではなく別の個体であることに気付けるようになります。そうして別個体であることを認識できるようになると分離の不安を強めて、意識的に母親と固体化(一体化)する抱っこを強く求めるようになり、母以外の他者を母親ではないと明確に弁別できるようにもなります。これを「人見知り」と呼び、だいたい生後8ヶ月~10ヶ月ぐらいに出現します。ただし、この頃はまだ本能的な感覚に生きている段階ですから、思考的に物事を捉えるレベルに達してはいません。それがある程度はっきりしてくるのが1歳半頃の“自我(意識)の芽生え”なのです。
かつて、別個体であることを認識し始めた生後6ヶ月の頃には、それぞれが別々の意識を有することまでは分かっていなかったのですが、この頃になると自意識を強く感じ始めることによって、母親が自分とは異なる意識に生きていることにも気付けるようになります。つまり、『お母さんの意図と、僕(わたし)の意図が同じじゃあない!』という気付きです。『同じだと思ってたのに、どうして同じじゃないの?』と戸惑い、自分とは異なる意図を働き掛ける母への抵抗(?)が始まります。
例えば、スプーン。それまでお母さんに阿吽(あうん)の呼吸で食べさせてもらってて、ある日『今日は自分でスプーンを持って食べてみたい、お母さんもきっと同じに思っているはず。…あれ?どうして阿吽の呼吸でスプーンを持たせてくれないの?』と、いぶかりながらお母さんの手からスプーンを取ろうとします。
この時、子ども中では自分が持ったスプーンで、お皿の具材を上手に掬って口まで運ぶイメージが出来上がっているんですが、実際にやってみると気持ちばかりが先行して何一つイメージ通りには行えません。結局、スプーンを持っている利き手とは反対側の手を添えて、手掴みで食べることになったりします。まぁ、初めてやるんだから無理もないんですが、当の本人は『こんなの、おかしい!!』と腹を立てて、お皿ごと払いのけ、テーブルから落としてしまったりします。
確かに、結果だけ見れば親に反抗しているように見えます。しかし、決して反抗を示すためにお皿を落とした訳ではありません。『思い通りにいかなくて厭だった』、ただそれだけです。
でも、一生懸命作った料理を台無しにされたお母さんからすれば、『なんでこんなことするの~!💢』という思いです。ただし、当の子どもには“料理を台無しにする”意図も“反抗”や“攻撃”をする意図もなくて、思い通りにいかなかった原因がお母さんにあるとも思っていません。何故なら、目の前の食事をお母さんが整えたという因果関係も、この時期の子どもには理解できていないからです。もしも、思うことがあるとすれば、スプーンが悪い、お皿が悪い、掬いにくい形状の食材が悪いくらいのことで、むしろ『イメージ通りに食べられるようにお母さん助けて!』と思っています。それなのに、お母さんから大声で怒られちゃったりすると、なんで怒られているのか意味が分からなくて、怒られたことに腹を立てつつ段々訳が分からなくなって泣くしかなくなります。この時期の子どもは一旦泣き始めると、自分が何で泣き始めたのか忘れて、泣き疲れて眠るまで泣き続けたりするので、もう食事どころではなくなります。
第一次反抗期=第一次自己主張期のテーマ、それは、自我の芽生えに伴う『自分のこと、自分でしたい(やってみたい)』なのです。
[第二次反抗期(第二次自己主張期)]
一方、第二次反抗期=第二次自己主張期のテーマは、第二次性徴と共に訪れる思春期を迎えることで、将来の自立を意識し始めることに伴う『自分のこと、自分で考えたい』です。
第一次反抗期、第二次反抗期のプロセスをテニスの習得に準(なぞら)えて考えてみましょう。
習い始めの最初に、ラケットの握り方を教えてもらいます。インストラクターに手を添えてもらい、「こうやって振るんだよ」と素振りを習います。ラケットに軽くボールを当ててみたり、しばらく教えてもらったところで、「先生、手を放してください。自分のラケット、自分の力だけで振ってみたいんです」。これが、第一次自己主張です。
やがて、コートに立てるようになると、練習試合が始まります。この時、コート上での動きをインストラクターが「その球はアウトになるから触らずに見逃して!」「前衛に出て!」「後衛に下がって!」「ボレーで返して!」「スマッシュを打って!」などの指示を受けながら、試合形式の練習で実戦感覚を養います。やがて、「先生、コートの外からの指示出しを止めてください。自分のゲーム、自分の考えで戦ってみたいんです」。これが、第二次自己主張です。
また、思春期には、ある程度他者を比較対照したり批判できる力も備わってきます。それまで絶対的な存在だった親も、○○さんのお父さんと自分のお父さん、○○くんのお母さんと自分のお母さんを相対比較したり、『お母さん(お父さん)の○○なところは良いけど、××なところは良くない』と、自分なりに評価できるようになります。そして、それらを自分らしさに取り込んだり、反面教師として取り込まないようにしたり、自己(自我)形成の第一歩を踏み出していくのです。
第一次自己主張にしても、第二次自己主張にしても、主張した先から上手にこなせる訳はありません。むしろ、第一次自己主張期のスプーンと同様、経験に浅く拙(つたな)い思考しか持てていない段階では、なかなかイメージ通りに成功はできません。イメージ通りにできないと自分を棚に上げて、○○が悪い、△△が悪い、□□が悪いと言い訳ばかりしますが、そんな風に言いながら内省もしていて、次の成功に活かすために失敗経験を蓄積するプロセスを辿ります。そうして現実にぶち当たりながら第二次反抗期を歩き通して思春期を終える頃には、『なんだかんだ言って、お母さん(お父さん)は凄い!』という結論に至ったりもします。ご自身を振り返っていただければ、多分、お解りいただけるのではないでしょうか。
親の務めは、上述の失敗経験を保障してやること。『ナマ言ってんじゃないよ…』と、少々腹の立つこともありましょうが、それでも、しっかり生意気言わせて主張させてやりながら、大きな心で見守っていただけたらと思います。幾つかの選択肢を示したりアドバイスはしても、命令はしないこと。拙く愚かな選択であったとしても、本人に決断させることが肝要です。そして、失敗しても「そらみたことか(ほら、お母さん(お父さん)が言った通りでしょ!)」と、言わないことです。(ついつい言いたくなっちゃうんですけどね…)
親は若い頃に既に経験済みな訳ですから、失敗を予測できたとしても当然で、決して誇るようなことではありません。しかし、言い当てたとばかりに誇らしげに言ってしまうと『お前はバカだ!』というネガティブメッセージを送るだけで、その後にどんなに素晴らしいアドバイスを与えても子どもは自己否定感ばかりを強めます。つまり、親子の溝(精神的距離)は拡がるばかりで、もはやデメリットしかありません。そんなことをするくらいなら、失敗して残念に思っている気持ちや傷んでいる気持ちに寄り添い励ます方が、余程お互いのメリットになるとは思いませんか?。
もしかすると、「(第二次)反抗期がなかった」と言う人の中には、親にしっかり主張を受け留めてもらい、失敗に寄り添ってもらった人が含まれているのかもしれませんね。
「子供しかるな 来た道だもの 年寄り笑うな ゆく道だもの 来た道 ゆく道 二人旅 これから通る 今日の道 通り直しのできぬ道 -永六輔/大往生より-」