ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
♪たなばたさま♪
①ささの葉さらさら
のきばにゆれる
お星さまきらきら
きんぎんすなご
②ごしきのたんざく
わたしがかいた
お星さまきらきら
空からみてる
[作詞:権藤はなよ 補作詞:林柳波 作曲:下總皖一]
軒下の縁側で、七夕飾り越しに星空を眺めている情景が歌われています。
日本では宮城県仙台市が有名ですが、七夕祭りは古く中国の乞巧奠(きっこうでん)を起源としています。
「乞巧」は“技巧を授かるように願う、上達を願う”という意味で、「奠」は“神仏に供え物をして祭る”という意味です。7月7日の夜、月明かりの下で女性たちが7本の針に五色(ごしき)の糸を通して供物と共に庭に並べ、手芸の上達を祈願したと伝えられます。五色の糸は中国古来の五行説から万物を構成する五元素を、それぞれ緑(=草木)、赤(=火)、黄(=土)、白(=金属)、黒(=水)で表現しますが、日本では黒は縁起が悪いと紫で代用されました。
こうして乞巧奠は、奈良時代に公家など貴族の間で、女性たちの手芸や楽器などの技巧の上達を願う「七夕=しちせき」として広まりました。
では、何故「たなばた」と読むのかというと、棚機津女(たなばたつめ)の民間伝承を習合させたことによっています。
「たなばた」は、“棚板の付いた機織(はたお)り機”を指す言葉で、乙女が水辺の機屋(はたや)で夜通し機(はた)を織って織神(おりがみ)に捧げる布を織り上げたという伝説が、乞巧奠「七夕=しちせき」と混ざり合って「たなばた」と読むようになったとされます。
これに羽衣天女伝説やいろいろなものが習合し、織り姫と彦星のお伽噺が出来上がっていったようですが、諸説あります。
最もオーソドックスなお話は、皆さんご存じの、天帝が娘である織姫の婿にと牛飼いの彦星を引き合わせ、二人が恋に落ちるというお話。二人はそれぞれに大変な働き者でしたが、恋に落ちて以降は仕事を放ったらかしてイチャイチャするばかり。困り果てた天帝は、二人の間に天の川を置いて引き離しますが、織姫は悲しみのあまりに、機織(はたお)りに復帰するどころか寝込んで衰弱してしまいます。憐れに思った天帝は、年に一度だけ七月七日の夜に天の川に無数のカササギを橋として渡し、二人の再会を許します…とまぁ、こんな話です。
小さな頃から聞かされ続けてきたストーリーで、ただただ「ふ~ん」と聞いていましたが、よくよく考えてみると、愛し合う若い夫婦が一年に一日しか逢えないなんて、ちょっと酷ですよねぇ。それに、この寓話は教訓として、いったい私たちに何を伝えようとしているのでしょう。
「①親のいうことはきくもんだ」
なのか、
「②己の務めは果たさねばならない」
なのか、
「③働かざる者、恋をするべからず」
なのか、
「④煩悩(欲望)を抑制しなさい」
なのか、どうにもテーマがぼけていてよく分かりません。その上、短冊に願いごとを書いて笹に飾るとなると、
「⑤逆境にあってもくじけてはいけない、願い続ければきっと叶う」
となりますが、天帝の娘でさえ一年に一度しか叶わないのであれば…下界の私たちなど…あぁそうか、だから年に一度短冊に書いて願うんですね…。
とまぁ、少々無理のある気もしますが、私たち日本人は七夕を四季を織りなす季節行事として、子や孫に伝承し続けてきました。四季がはっきりしている国だからこその国民性なのかもしれませんが、それにしても私たち日本人って本当に季節行事とかブームが好きなんだなぁと思います。自国のものばかりでなく海外のものも、クリスマス、バレンタイン、ハロウィン、母の日、父の日と、色々な季節行事を取り入れたり作ったり、近年では恵方巻きなど一部地域の伝承が全国的に拡大したり、まだまだ増え続けていくように感じます。しかしながら、七夕がそうであるように、古ければ古い伝承ほど時代を経る中で元々の意味が違って伝わりやすいということがあるのかもしれません。
『そんな面倒くさいこと考えないで、楽しけりゃそれでいいじゃん』という考え方もあるのかもしれませんが、やはり、その行事が始まった由来や、その時代の人々の思い、文化として根付いていった背景などに思いを馳せて、季節行事の一つ一つを味わいたいなぁと思います。
みなさんは、いかがでしょうか。