ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
2021年の夏は沢山お見舞い申し上げなければならない夏でした。昨年来続いている新型コロナ禍=パンデミックは勿論のこと、オリンピック開催期間の暑中お見舞い、その直後の令和3年豪雨災害、世界に目を向ければミャンマーの情勢不安、そしてアフガニスタンの情勢不安と、心配の尽きることがありませんでした。こんな年が他にあったでしょうか。しかし、私が知らないだけで、きっともっともっと酷い年があったのでしょう。
我が国は今年で戦後76周年を迎えました。もう、戦中・戦前を知る人は77才以上の人だけになりました。ですから、当然、私も戦争を知りません。ただ、子どもの頃に父や母、祖父や祖母から聞いた話くらいは覚えています。その頃の暮らしや、その頃に聞いた戦争の話は、今に比べると全く別世界の話で、現代を生きる子どもたちにどこまでリアルに想像ができるのだろうと思います。(尤も、リアルに想像できれば良いとも思いません。)
小学校高学年の頃だったでしょうか、父方の伯父が酔った席で戦時中のことをまるで武勇伝でも語るかのように話して聞かせてくれたことがありました。多分、戦火を走って逃げ惑ったことや食べる物が無くて雑草や犬や猫、兎やネズミを食べたて生き延びたみたいな話だったと思うんですが、一番心に残っているのは「でもこんなのは全部せんでもええ苦労だ」と言ったことでした。今の今まで武勇伝として語っておきながら、直後に全否定したその言葉が、やけに心に残ったことを覚えています。子どもの頃には分かりませんでしたが、後になって伯父さんも戦争に青春時代を奪われた一人だったんだなぁ…と思いました。
人生の先輩として、伯父として、平和な時代に青春を迎えようとしている甥っ子に、「青春っていいもんだぞ!」と胸を張って言ってやれることが何一つない…。語っているうちに自分で自分が情けなくなったんだろうと思います。本当にそうです。戦争なんて「せんでもええ苦労」なんでしょう。それが伯父の実感でした。
我が国日本では戦争を知らない子どもだらけになっている一方で、アフガニスタンやシリアなど世界には戦争しか知らないで育ってきた子どもたちがいます。そしてそうした国の中には、戦争しか知らない大人達で構成されている国もあります。
戦争は、イデオロギー(思想)のぶつかり合い。自分たちにこそ正義があると、双方それぞれに“平和を実現するために戦っている”と明言しますが、その一方で平和のなんたるかを知らなかったりもするのです。私の伯父がそうであったように、戦争状態にあることが“普通”の国を生きる大人達に、真(まこと)の平和を子ども達に教えることはできません。
最近になって核兵器を“非人道的兵器”と呼ぶ言い方を耳にするようになりました。誰が言い始めたのかは分かりません。核兵器廃絶を願って、通常兵器に比べ“非人道的”との思いを込めて使い始めたんだと思いますが、であるならば通常兵器は“人道的兵器”なのでしょうか。誰もそんな風には思いません。そもそもこの世に人道的兵器などというものは存在しないからです。
私の知る被爆者とそのご家族の中には、自分たちが核兵器を“非人道的兵器”と呼ぶことに違和感を感じておられる方がいらっしゃいます。それはこの言葉が、他の兵器で死傷された方々と自分たちとを差別化するニュアンスを含むと感じておられるからに他なりません。被爆者とそのご家族は、そのような差別化を望んではおられません。願っておられるのは、核兵器を含めた兵器を使用しなくてもよい平和な世界です。核兵器廃絶はそのための通過点に過ぎないのです。
私たちの国は76年前に敗戦しました。多くの犠牲を払い、戦争の虚しさを味わい、赦し合う尊さを学びました。つまり、赦し合うこと無しに平和は実現できないことを知ったとも言えます。赦しこそが愛です。そして究極の赦しによって、自身を十字架上に磔(はりつけ)た人々をさえ愛された神の御子イエス・キリスト。私たち社会福祉法人光の子会は、この愛に立たせていただきながら、皆様の祈りに支えられつつ福祉事業に携わらさせていただいています。