ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
節分が終わると、立春。そして人々の関心はヴァレンタイン・デーへと移ろっていきます。孫のいる世代はそれほどでもありませんが、若い独身世代は一喜一憂しているようです。ところが、コロナ禍に入って以降、巷(ちまた)では義理チョコが段々に鳴りを潜めていったように感じます。なんとなく寂しい気もしますが、その実皆が内心この年中行事にうんざりしていたのかもしれないなぁ…とも思わされました。
私も、かつての職場では女性職員や女性クライエントから毎年20個近くのチョコを貰い、更に妻や娘、母や姉や妹、姪からも貰い、食べきれなくて結局妻や娘の餌食になっていました。ある年は、取り置いていたチョコが無いので妻に尋ねると、「職場に持って行って、休憩時間にみんなで頂いたよ」と言われる始末。妻にしてみれば私の健康を気遣ってのことだったのでしょうが…
それにしても自分で食べきれず家族が食べているのに、ホワイトデーにお返ししなくちゃなんないって『なんなんだこの季節行事は…妻と娘を太らせているだけじゃないか…』と思いつつ、結局世間の流れにただ身を任せているだけでした。
義理とはいえ、プレゼントを貰うのは幾つになっても嬉しいものです。だからとその一瞬のために女性に散財を強い、お返しに男性も散財するのって、なんだか菓子メーカーに踊らされているだけな気もして、『どうにかなんないのかなぁ…』と、心のどこかでは思っていました。
そんな昨年のコロナ禍のヴァレンタイン・デー。女性も同様に感じていたのか、当日女性職員がまとまって「私たちからです!」って男性職員それぞれに一包みずつを渡すよう改めました。応じてホワイトデーも男性職員がまとまって「僕たちからです!」って一包みずつをお返しする形に変えたんです。そうすると互いのチョコを心の内で比較対照(大きさ、綺麗さ、豪華さ)することもなくなり、要らぬ気遣いをすることがなくなりました。風習って始めるのは簡単でも、一旦加熱し始めるとそれなりのきっかけ(言い訳材料)がないと、終わらせるのって案外難しいのかもしれません。日本人って集団心理に弱いですからねぇ…
ところで、ヴァレンタイン・デーってなんなんでしょう?
少しその由来を紐解いてみたいと思います。
ヴァレンタイン(Valentinus)(?-270年頃)はイタリア中部テルニーのカトリック教会の主教(神父)で、ローマのクラウディウス帝時代に殉教したと伝えられます。実は、2月14日はヴァレンタイン主教の命日なんです。この日をドイツでは「運命の日」「不幸の日」として忌み嫌っているようですが、フランスやアメリカでは「求愛の日」として人々の間に親しまれています。
日本にヴァレンタイン・デーが伝わったのは、今から86年前の昭和11年。菓子メーカーのモロゾフが英字新聞に「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」と広告を掲載したのが始まりです。それから20年程を経過し、メリー・チョコレート・カンパニーが、昭和31~34年に西武百貨店、松屋、松坂屋で「一年に一度、女性が男性にチョコレートを贈って求愛できる日」としてキャンペーンを張り、少し遅れて森永製菓も同様のキャンペーンを張りました。こうして少しずつヴァレンタイン・デーが庶民の間に浸透していったんです。
さて、ここからは伝説なので真偽のほどは定かではないんですが…
遡ること紀元後200年代(3世紀)。ローマ帝国がヨーロッパを支配していた時代に、ローマの兵士として遠征に派遣される若者たちには、”命を惜しみ、新妻のもとへ逃亡してしまうかもしれないから”という理由で結婚が許されていませんでした。しかし、派兵される当の本人にしてみれば、明日をもしれない命なら、なおさらに「生きているうちに好きな女性と結ばれたい」という願いを持っていた若者も多くいたようで、ヴァレンタイン主教が帝国に隠れてこっそり結婚式を挙げてやっていたと伝えられます。
「ヴァレンタイン主教は俺たちにも結婚を許してくださる」という噂が兵士の間に広まっていたかどうかは定かではありませんが、ヴァレンタインの仕業はやがてローマ皇帝の耳にも届くこととなり、皇帝に楯突(たてつ)いた廉(かど)で2月14日に処刑されてしまいました。
これがもとで、命がけで若者たちの”愛”を守ろうとした聖人を記念する「求愛の日」として、いつの頃からかフランスやアメリカでヴァレンタイン・デーは広まっていきました。
そんなヴァレンタイン・デーですが、欧米では女性が男性にチョコレートを贈る習慣はなく、恋人同士や夫婦がプレゼントを交換して互いに愛を育む行事として定着しています。
昭和30年代にメリーと森永が行ったキャンペーンは、当時思ったほどに人々の間に定着することはなかったのですが、昭和50年代以降、急速に季節行事として広まっていきました。それには当時、アメリカのウーマンリブ運動が一段落して、我が国でも男女同権の気運が高まりつつあった、そんな時代背景が影響していたのかもしれません。
女性から「告る」ことが珍しくない今の時代に、もはやヴァレンタイン・デーは昭和の時代ほど女性に有り難がられることもなくなり、最近では自分へのご褒美チョコの平均額が本命チョコを上回ったと報じられていました。菓子メーカーの意識操作にまんまと乗せられてきた私たちの世代に比べ、今の若者は意識を多様化させ進化しているのかもしれません。
ちなみに、”ホワイト・デー”(3月14日)は、誰かの命日でも何でもなく、福岡の菓子メーカーが、メリー商戦にあやかろうと”マシュマロ・デー”と呼んだのが始まりです。その後、他の菓子メーカーが自社製品を売ろうと”クッキー・デー”と呼んだりしましたが、結局”ホワイト・デー”に落ち着きました。