ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
宗教とはなんでしょう。
ネットを検索すると、あるサイトでは「宗教とは、神や仏といった超自然的な存在に対しての信仰や、それにかかわる営みを指す言葉です。神仏の教えを信じることで、安らぎを得たいとする心の働きのことです。」と、説明していました。
世界の代表的な宗教の信者数は、2020年の統計によると世界人口77.9億人中、キリスト教約24億4,000万人(31.3%)、イスラム教約15億3,000万人(19.6%)、ヒンドゥー教約11億6,000万人(14.9%)、仏教約4億9,000万人(6.3%)、シーク教約3,000万人(0.38%)、ユダヤ教約1,400万人(0.18%)、その他の宗教約5,600万人(0.7%)、無宗教約12億3,000万人(15.8%)であると言われます。
7月の故安倍元首相襲撃事件以来マスコミや国会を賑わせている「世界基督教統一神霊協会」(以下、旧統一教会)を、文科省はキリスト教系として分類していますが、カトリック(キリスト)教会、ルーテル(キリスト)教会をはじめとする世界の正統派のキリスト教会は、旧統一教会をキリスト教とは認めていません。旧統一教会は、第二次大戦後に興った新興宗教(1951~2015世界平和統一家庭連合)の一つであり、冒頭の分類では【その他の宗教】に数えられます。旧統一教会がキリスト教と認められていないのは、他のキリスト教会とは教理に明確な違いがあるためです。
まず最初に、ユダヤ教は、旧約聖書(39書簡)とタルムードを聖典とし、『聖書に予言される救世主[メサイヤ(ヘブライ語)/キリスト(ギリシャ語)]は未だ降誕していない』という立場をとり、今も救世主の降誕を待ち望んでいます。
対して、キリスト教は、旧約聖書に予言される救世主はナザレのイエスとして降誕し、十字架の死と復活によって人間の罪を贖(あがな)い永遠の命への道を拓いたと、その生涯とその後の使徒の働きを記した新約聖書(27書簡)も合わせ、聖典としています。そして、新約聖書には、復活して生きたまま昇天したキリスト・イエスが終末(この世の終わり)に再臨すると予言されており、キリスト教徒(クリスチャン)はこれを信仰しています。
では、何故、世界基督教統一神霊協会がキリスト教とは認められないのかというと、今は亡き教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン/本名:文龍明)が自身を再臨のキリストであるとしたためです。文鮮明は己を神格化し終末思想を広めることによって、信じない者は地獄に落ちると恐怖を煽(あお)り、自身に額(ぬか)ずくことを信者に求めました。このように、恐怖によって強い暗示を掛け精神を支配する手法は、明らかにマインドコントロールであり、宗教に定義される“信仰”とは程遠い状態といえます。しかし、一度マインドコントロールに取り込まれてしまった者は、自身ではそれと気付くことができず、マインドコントロールされている状態を“信仰”と勘違いしてしまいます。
人は何故、宗教を追い求めるのでしょう。
それは、冒頭の説明にもあるように、「安らぎを得たいとする心の働き」なんだろうと思いますが、心がそのように欲するのは、「安らぎを得られていない」という前提があるからに他なりません。苦悩し疲れ果てて繋がった教会と呼ばれる場で、「あなたの過去に…」「あなたの先祖に…」原因が、と因果律を説かれたならば、『そういうことだったのか…』と真面目な人ほど、そうした考えに取り込まれてしまいます。
そして、「今の状況をなんとかしたいのなら、この壺を○○万円で買いなさい。そうすれば救われます。しかし、そうしないならあなたの人生は更に酷くなり、家族にも不幸が降りかかり、あなたの魂は煉獄(れんごく)の炎で焼き尽くされます。」と脅され、愛する家族との生活を守ろうと必死になり、気が付けば、家族皆の幸せを願って入信したはずなのに、家族皆を苦しめてしまっている。これがマインドコントロールの末路です。
こうした旧統一教会の布教の進め方は、そもそもがキリスト教とは異なっています。何故なら、キリスト教は『功徳(くどく)を積めば救われる』というような所謂(いわゆる)、願掛けの御利益(ごりやく)宗教ではないからです。
キリスト教は、別称「愛の宗教」とも言われるように、神様がどれほどあなたを愛してくださっているかを説きます。父、子、聖霊からなる三位一体の創造主なる神様が、あなたに命を与え、母の胎に宿る前からあなたを恵み、愛し、導かれている、その良き知らせ(福音)を説くのがキリスト教だからです。もしも、「沢山献金をすれば天国に行けます」「沢山献金しなければ地獄に落ちます」と高額の献金を強要したり、個人の献金額にノルマを定める教会があるとするなら、それは正統なキリスト教会ではありません。一刻も早く脱会されることをお勧めします。
確かに、キリスト教会では献金を献げます。しかしそれは、「○○してください…」と願(がん)を掛けて供えられるものでありません。日々、神様からいただいている恵みへの感謝の応答として献げられるものだからです。当たり前のことですが、そもそも神様は、献金額など人の思いで言いなりにできるような存在ではありません。しかしながら、正統派のキリスト教会と呼ばれるカトリック教会でさえ、過去には過ちを犯したことがありました。
16世紀。時のローマ・カトリック教会は、サン・ピエトロ大聖堂の建築資金を得ようと、信徒に「贖宥状(しょくゆうじょう)(免罪符)」を与える代わりに高額の献金を要求しました。これに対し、1517年10月31日、ドイツのマルチン・ルター(ルーテル)が、ヴィッテンベルク城教会の扉に“献金額によって罪が赦(ゆる)される等、聖書に記載のない贖(あがな)いのルールを人間が勝手に定めてはならない”といった主旨を含む「95箇条の論題」を貼り付け、自身も所属するカトリック教会に対し、「教会は『信仰のみ』『聖書のみ』『恵みのみ』に立ち帰るべきである」と強く抗議しました。このルターの命懸けの抗議に賛同した多くの者達によって、宗教改革の波はヨーロッパ全土へと拡がり、プロテスタントのキリスト教会が誕生するに至りました。(因みに、プロテスタント[抗議する者・抵抗者]と呼んだのはカトリック教会の側ではなく、ドイツ国内にカトリック教会を残すことを決めたドイツ皇帝サイドで、当時のローマ・カトリック教会は単にルーテル派と呼んでいました。)
そして、20世紀から21世紀へと時代が移り変わる頃、バチカンは「千年の反省」の時を持ち、ようやく当時のローマ・カトリック教会の過ちを認めました。
旧統一教会の他にも、キリスト教を騙(かた)る偽(にせ)のキリスト教会が世界には数多く存在します。文科省が旧統一教会をキリスト教系に分類し、自民党も長きに渡りキリスト教と信じ込まされてきたくらいですから、一般の人に正統なキリスト教会かそうでないかを見分けることは難しいのかもしれません。実際、私の場合、父母が正統のキリスト教会で信仰をいただいていたことで、“宗教二世問題”に苦しめられることはありませんでしたが、仮に私の父母が正統ではない教会に繋がっていたとしたら、私も旧統一教会の宗教二世と同じ苦しみを味わっていたのかもしれません。 そういう意味においては、旧統一教会の信者は、基督教という名に信頼を置いて教会を訪ねたのに、似て非なる全く異なるものを信じ込まされた宗教詐欺事件の被害者と言えるでしょう。
実態解明と被害者の救済、そして、旧統一教会( 世界平和統一家庭連合) 他のキリスト教を騙る宗教被害に遭われた方々が、真(まこと)のキリスト教につながり、真の神様と出会われることを、心からお祈りしています。