ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
「近年の気候、変?どう?」と駄洒落のような質問を投げ掛けたくなるほど、毎年毎年、気象庁の「これまでに経験したことない」という枕詞を聞かされ続けています。
温暖化の影響で地球規模で気候変動が加速していることは事実ですが、その原因については、産業革命(1700年代後半)が興った頃から地球が温暖化のサイクルに入ったという説もあり、温室効果ガスの排出が主たる要因かについては本当のところよく分かってはいません。ただし、温室効果ガスが地球温暖化を加速しているであろうことに疑いの余地はなく、でき得る限りの対策を講じることは、これまで化石燃料の恩恵を受け続けてきた人類の責務とも言えます。
それにしても近年の豪雨災害、特に線状降水帯による被害は年を経る毎に甚大化していて、近年は台風とセットになることも珍しくなくなりました。温暖化によって温められた海水が上昇気流によって湿った空気を雨雲に供給し、大量の雨を長時間に渡って降らせ続けます。その勢いは時間雨量にして80~120㎜と、それこそ、これまで目にも耳にもしたことのないような雨です。かつては時間雨量50㎖程度を「バケツをひっくり返したような」と表現していましたが、時間雨量100㎖は「滝のような」とでも言ったらよいでしょうか。車輌もワイパーが機能しない視界不良・走行不能となる雨です。そのような雨は自分には遠い話と、どこかで無意識に切り離していましたが、今年のお盆にそれを経験することとなりました。
北上するはずの台風7号が未明に進路を北西へと変え、まさかの直撃に遭ったのです。鳥取市内で時間雨量100㎖を記録。市内を流れる1級河川も越水・決壊・氾濫まで残り100cmばかりとなって、報道に目を耳を懲らしながら床下浸水以上を覚悟しました。いよいよ垂直避難の準備をと考え始めていた昼近くに雨足が弱まり、ギリギリで難を逃れることができました。無事だったことを他の被災地に申し訳ないような妙な感覚に囚われながら、安堵に胸を撫で下ろしたことでした。
その後も、ダブル台風、トリプル台風が発生するなど、私たちが子ども時代を過ごしてきたかつての常識はもう通用しなくなっています。
阪神淡路大震災、東日本大震災の際には「想定外」という言葉が躍りました。確かに想定を遙かに超えた災害であったことは否めませんが、「想定外」という言葉に免責の意図が見え隠れし、当時不快感を覚えていたことを想い起こします。しかし、今や想定外を想定しておかなければならない事態が発生し続けていると言っても過言ではなく、それは、何処にでも起こり得ます。絶対に安全な場所など、もはや存在しません。
我が国は多くの災害を契機に、建設や建築その他の基準を改善しながらより強靱な国土へとインフラを造り替えてきているんですが、拡大を続ける自然の猛威に全く追いついてはいません。
近年は「減災」という言葉を耳にするようになりました。これは災害時に人命を守る上でハードウェアに加えてソフトウェアが重要であることを省みた言葉です。災害を防ぐことはできない。で、あるなら、被害を最小限に抑えるためにはどうすべきか。過去の被災から“物”だけを変えてもダメで、“意識”を変える必要を学んできた由縁です。
去る9月1日、関東大震災から100年を迎えました。当時、東京市220万人の70%が家屋を失い、10.5万人を超える死者を出しました。しかし、その殆どの死因が地震直後に発生した火災によるものだったと報じられていました。情報インフラの発達してる現代においては、同程度の地震(M7.9)を想定した場合に、当時ほどの死者数にはならないと想像できますが、東日本大震災(M9.0)クラスの地震が発生した場合には、私たちの想定を遙かに超える災害となるであろうことは想像に難くありません。
関東大震災後の復興に関わった日本経済の父・渋沢栄一氏は、当時「天譴(てんけん)論」を唱えたと言われます。幕末から明治・大正・昭和を生き抜いた氏は、『日清、日露と戦勝ムードに沸き、贅沢と軽率の蔓延する国内の空気を戒め、質実剛健に立ち帰るよう神が天誅を下された(罰を与えられた)』と断じたのです。
そこに渋沢氏が語ったような神の意図が働いていたかについては誰にも解りません。しかし、近年の災害を振り返るときに、当時の人々と同様の『私たちは神の御心に適った生き方をしているのだろうか』を問わないではいられません。勿論、キリスト教的に考えるなら、私たちが何かを改めることのによって神のご計画が変更されるようなことはあり得ませんが、日本だけでなく世界中の私たちが悔い改めて話し合いにより力を合わせ解決の道へと向かう、そのような神のご計画であって欲しいと祈るばかりです。そして、私たちは、私たちにできうる限りの備えをして参りましょう。
(聖書/箴言19章21節 人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。)