ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
今年10月、2022年の子どもの自殺統計が発表され、514人と過去最多を更新したことが報じられました。子どもに関わる仕事をしている者にとって、これほど悲しいことはありません。神様に命をいただき、父母によって産み出された尊い命が、人生を謳歌する前に閉じられてしまうことは、正に「痛恨の極み」と言わざるを得ません。しかし、514は単なる数字ではありません。514人一人ひとりが感じていたであろう痛みを、私たちは噛み締める必要があります。また、自死を選択するまでではなくとも、同様の痛みを感じている子たちがその数十倍、数百倍存在しているであろうことに思いを馳せます。いったい何が子どもたちをそこまで追い込んでいるのでしょう。
一つには「いじめ問題」があります。
平成25年9月28日「いじめ防止対策推進法」が施行され、このとき初めていじめが法的に
「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校(※)に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」
と、定義付けられました。そして同法には国、地方公共団体、学校、保護者がそれぞれ対策を講じなければならないことが明記されました。
同法が施行されるより前の平成22年度のいじめ認知件数は、小・中・高・特別支援学校を含めて77,630件でしたが、令和2年度の統計では517,163件と約7倍にまで膨れ上がりました。新型コロナ禍に入って以後は、休校やリモート授業が続き、比較対照できるデータがありませんが、いじめと自殺との相関は間違いなくあると考えられます。特に、ネット社会になって以後は、学校に通っていなくてもネット上でのいじめが可能になりました。いじめる側は軽い気持ちで「死ね」とか「消えろ」と書き込みますが、受け取る側には、ただの文字では片付けられない深刻な問題です。深く傷付き、自己の存在価値を見出せなくなって自死を選択しまう者もあるからです。子どもたちのスマホ所有率は今や小学生高学年が約40%、中学生が約80%、高校生はほぼ100%ですから、子どもと言えど、それらに触れないで生活することはできません。
大人と同様、子どもたちにSNS(ツイッターX、FaceBook、LINE、TikTok、YouTube)他で本音を吐露できる場のあることは良いことのように言われる識者もありますが、社会的に未成熟な者にネットは危険な原野であると言わざるを得ません。そこは野生の王国で、野獣がウジャウジャいる世界です。しかもやっかいなのは、自然界の野獣は見た目も野獣ですが、ネット界の野獣は見た目には草食動物のようであったり、天使のような成りで近付いてきますから、無意識に『自分に好意を示す人(自分と同じものに関心を寄せる人)は良い人に違いない』というフィルターで対象を捉えがちで、いとも簡単にその毒牙に落ちてしまいます。野獣からすれば、これほどに良い猟場は他にないと言ってよいでしょう。
「死にたい…」と、呟けば、共感を寄せたかのように「一緒に死のう」とコメントする者が現れ、散々弄(もてあそ)んだあげくに当人だけを死なせます。飛んで火に入る夏の虫、自分の方から飛んできたんだからと、大して罪悪感なく野獣は犯行に及びます。
日本は「安全な国」と、海外から高く評価されています。実際、他国に比べて犯罪率も低く、相対的に安全であることに違いはありません。しかし一方、自殺率では先進国の中でも上位に君臨していて、私もこれまでに同僚が担当した何人かの子の自死を経験しました。そうしたことを通じて感じたことは、側にいて救えなかった者の心にも、深い傷が残るということです。これは、ご遺族であれば尚更であろうと思います。悔しくて悔しくて悔しくてなりませんでした。支援者という立場ではあっても、傷が癒える迄には何年もの歳月を要します。何故なら、故人が若ければ若いほどに納得がいかないからです。
新型コロナによるパンデミック(世界的感染爆発)、ロシアによるウクライナ侵攻、ハマスとイスラエルの報復合戦と、子どもたちには、光が見出せず生きる意義を感じ辛くなっているのかもしれません。まずは、大人がしっかり地に足を着けて生きる姿を見せることであろうと思いますが、その大人が、いちばん揺らいでいる。結果、子どもたちを不安にさせているのだろうという気がしています。