ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
児童発達支援センターで療育を行うのは、タイトルに示した「発達支援の瞬間(とき)」を逃さないことであろうと思います。そのために、児童発達支援センターの直接支援職員(保育士、児童指導員)の配置は園児4人に1人とされていますが、私たちの実感で言えばこれでも不十分で、最低でも園児3人に1人以上の配置を求めたいと考えています。と、いうのも、コラム発達20「こころを育む」にも記した通り、脳の臨界期(乳幼児期)における発達支援は、子どものその後の一生涯に係わる極めて重要な支援に他ならないからです。
再三お示ししてきた通り、障がいがあってもなくても発達の道筋に変わりはありませんが、何らかの理由によって通常の発達が阻害されていたり、歪(いびつ)になっていたり、停滞していたりということがあります。その要因や誘因を探して改善し、適切な支援環境の中に置いて正常な発達に軌道修正すること。或いは、適切な刺激を与えて発達を促進することが、児童発達支援センターに求められる専門性と考えます。
これらを実現するために、直接支援職員には先ず「①発達を観る眼」が求められます。何故なら、知的障碍を有する子どもが発する発達のシグナル(信号)は、障碍が重度であればあるほど微弱だからです。その微(かす)かなシグナルを逃さず適確にキャッチする高い感受性が、子どもに身近な支援者に重要な要件の一つと言えます。
子どもの発するシグナルを見極めるためには、当然のことながら発達に熟知している必要があります。それは、単に発達の順序というだけでなく、現在獲得しようとしている課題が、次の発達にどう結びついて拡がり発展するのか、までを見通せる力です。
ただし、「観る眼」だけでは足りません。子どもの発するシグナルを受け留めたのなら、それに対してどう支援(刺激)すれば発達を促進できるのか、様々なアイデアの中からその子だけの「②オーダーメイドの支援をデザインする力」が求められるからです。
その際、大切なことは、子どもと共に過ごす場面場面を絶えず子ども視点で捉え続けることです。子どもに関わりながら、支援者が子どもにどう見えているのか、空間をどのように見ていて、どういった感情で捉えているのか、想像し続けながら向き合います。そうすると、自然と子どもの心が支援者にリンクし、子どもが何を望んでいるのかが伝播し感じ取れるようになります。とはいえ、そう感じるのは錯覚で、実際には子どもの目線、表情、息づかい、声の調子、姿勢他、子どもが全身で表現する行動全てを取り込み同化することによって、支援者にはそんな風に感じられるということです。
この感覚を養うと、場面場面でのP(計画)D(実践)C(評価)A(改善)をリアルタイムに小刻みに回転させながら、短時間でA(改善)の精度を上げられるようになり、その時その時に必要なデザインを形作れるようになっていきます。一つの場面で得られたC(評価)とA(改善)の結果を他の場面にも応用・汎化して、さまざまな知見や手法を組み合わせたデザインが発想できるようになります。
しかしながら、この際に注意しなければならないことは、支援者が「自身のデザインに子どもを填(は)め込もうとしないこと」です。何故なら、デザインをするのは支援者でも、それを行うのは子どもだからです。
そのためには、「③子どもが主体であることを忘れず、臨機に修正・変更できる柔軟性」も求められます。子どもには“自分に主体があるか”或いは“相手に主体があるか”を本能的に嗅ぎ分ける感覚が備わっていて、知的に通常域か軽度か重度かに関係なく、この感覚は総ての子どもにあります。そして、本能的に自分に主体があると感じられる時に、子どもはそのこと自体に“面白さ”を覚えます。何故なら、乳児期を過ぎると周囲の大人から主体的に扱ってもらうことが少なくなると感じるからです。子どもに自身の主体を想い起こさせる支援者の働き掛けは、実は意図的に子どもに少しばかりの心理的退行を促し自由な自己表現を引き出そうとする関わりであると言うことができます。
子どもの心理治療技法の一つであるプレイセラピー(遊戯療法)、治療的心理カウンセリングでは、こうした感覚を大切に扱っていて、児童発達支援の専門家にも必要な感覚ではないかと考えます。支援者は、子どもに主体を保持させつつ子どもが「そう、それがしたかった(それが言いたかった)」と思えるようなデザイン(=場のシナリオ)を展開できるスキル(技能)が求められる訳です。それが「(発達)課題を好きにさせる」に繋がります。
こうした寄り添いに、子どもは支援者を「愛着対象」と認識するようになりますが、「愛着理論」を著した精神分析医ジョン・ボウルビィ(英)は、「子どもは単に自分に優しい人とではなく、“自分(子ども)に責任を負う人”と愛着を繋ぐ」と言います。そういう意味で言うなら、支援者(クラス担任)は子どもから“成長に責任を委ねられる対象”として認められる必要があると言えます。
支援者は、以上の①②③を大切に自己研鑽していく訳ですが、クラスはチームで補完し合いながら、発達(身体、知能、感情)が今求めているのは何なのかを追求していきます。そうして発達支援の瞬間(とき)を逃さないことが、児童発達支援センターが最も強みとするところであり、専門機関と呼ばれる由縁であろうと思います。