この問題はかなり複雑で、なかなか筆を下ろせないでいましたが、私なりに書いてみたいと思います。
勿論、イスラエルのガザ自治区侵攻には反対です。どんな理由であれ、戦争に賛同することはできません。しかし、戦争というのは正義と正義のぶつかり合いです。それぞれが信じる正義を貫こうとする行為です。とはいえ、今回のイスラエル軍によるガザ自治区侵攻によって、圧倒的なパワーの違いによって3万5千人を超えるパレスチナの人々の命が奪われていることは、どうあっても容認できるものではありません。
少しこれまでの経緯(いきさつ)を整理しておきましょう。
★第一次中東戦争(1948-1949イスラエル建国)
イスラエルの建国に反発したエジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、イラクがイスラエルに侵攻。当初劣勢を強いられたイスラエルだったが、西側先進国の支援を受けて攻勢に転じ収束。
★第二次中東戦争(1956スエズ危機)
7月にエジプトがスエズ運河の国有化を宣言し、同年10月にイギリス、フランス、イスラエルがエジプトを攻撃。
★第三次中東戦争(1967六日戦争)
1964年にPLO(パレスチナ解放機構)が結成されるなどイスラエルへの抵抗が強まり、イスラエルがエジプト、シリア、ヨルダンの空軍基地を奇襲し領土を拡大。
★第四次中東戦争(1973十月戦争)
エジプトがシリアと共にイスラエルを攻撃し、かつて奪われた領土の奪還に成功。
その後も1987年の第一次インティファーダ(反イスラエル闘争)でハマスが結成され、2000年にも第二次インティファーダが起こるなど紛争が繰り返されてきました。そして2005年にイスラエル軍がガザ地区から撤退。2007年にはハマスがガザ地区を完全に制圧しました。以後、断続的に衝突を繰り返しながら昨2023年10月7日、ハマスがイスラエルを大規模攻撃し(イスラエル側の死者1400人余り)、対してイスラエルの報復が現在まで続いています。
当初は、これまでのこぜりあいのように報復合戦も長くは続かないだろうという見方が大勢でしたが、ハマスが拉致した人質約250人の解放が進まず、戦闘の長期化を招いています。(これまでに123人を解放)
今回の事案だけを見ると、事を始めたハマスが悪いようにも見えますが、お示しした通り、この紛争は1948年から75年以上に渡る因縁、怒りと憎しみと悲しみの連鎖、それぞれの正義と信条の相違から、互いに振り上げた矛を収める術を得ぬままに軍事行動が継続されており、対峙の構図は当初から変わりません。しかも、その対峙がイスラエルvsハマスの二者だけではないことが、問題を更に複雑にしています。
まず一つ目の構図が、
ユダヤ人vsアラブ人
そして二つ目の構図が
ユダヤ教vsイスラム教vsキリスト教
更に三つ目の構図が
中東アジア諸国(新興国)vs欧米諸国(西側先進国)
この三つが複雑に絡み合います。
そもそも中東の現在の位置にイスラエル建国を目論んだのは、19世紀当時世界各地に植民地を有した世界最強の国イギリスでした。
事の発端は、1897年の第1回シオニスト会議(オーストリアのユダヤ系ジャーナリストが主唱した会議)まで遡ります。古来から迫害を受け世界各地に離散していたユダヤ人の悲願「故郷再建運動=シオニズム(シオン主義=エルサレムのシオンに帰ろう)」を、イギリスの外相バルフォア卿が政治利用すべく、1917年に“パレスチナにユダヤ人居住区の建設を約束するバルフォア宣言”を出しました。1933~34年に日独伊が国際連盟を離脱するとナチズムによるユダヤ人の迫害が強まり、1930年代後半からヨーロッパを追われたユダヤ人の多くがパレスチナへの入植を始めました。そして1941年に第二次世界大戦が勃発。ご承知のように連合国(英米仏ソ中)が勝利し、日独伊三国は敗戦国となりました。そして国際連盟は国際連合へと改まり、1947年の国連総会においてイギリス領であったパレスチナ統治地域を、ユダヤとアラブの2国に分割する決議が採択されました。これにアラブ諸国は反発しますが、翌1948年にはイスラエルの建国が宣言され、先述した★第一次中東戦争へと繋がります。
ここで今一度確認しておきたいのは、二つ目の構図、宗教からの視点です。
まず、シオニズムを政治利用しようと考えたイギリスは、キリスト教国です。次に、イスラエルの建国を望むユダヤ人は90%以上がユダヤ教徒で、イスラエルにおけるキリスト教徒は7%程しかいませんでした。そして、アラブ諸国は言わずと知れたイスラム教国です。
これらは古い順にユダヤ教(BC3761年頃)、キリスト教(AD35年頃)、イスラム教(AD622年頃)となりますが、ユダヤ教は旧約聖書(タナハ)に預言される神からの救世主は未だに降誕していないとキリスト教(新約聖書)を認めてはおらず、イスラム教はキリスト教を経典の民と認めてはいますが、聖書の神ヤーウェ(YHWH)はイスラエル地方の神に過ぎず、世界を統べ治める全能神はアッラーであると、イエス・キリストの『愛による救いは生温(なまぬる)い』として厳しい戒律と武力による布教を推し進めた歴史を有します。
先述したように、イスラエル建国までの流れは、イギリス、アメリカを中心とするキリスト教国によって推し進められました。ユダヤ人の殆どがキリスト教を認めていないにも拘わらずです。
キリスト教国はどのような思惑でこれらを推し進めたのでしょうか。その根拠とされるのは旧約聖書のエゼキエル書 36章24節、エゼキエル書 37章21-22節、イザヤ書 11章11-12節、そして新約聖書のマタイによる福音書 24章30-31節、使徒言行録 1章6-11節で、そこに記される聖書の解釈を基に、キリスト(救世主=神の御子)再臨の前にユダヤ民族が一箇所に集められる預言を成就することが神の御心(みこころ)に適うこと、神の御旨(みむね)に添うことであると考えました。ここでキリスト教には縁のなさそうな戦勝国、中国の立場はどうだったかというと、当時中国の政権を握っていたのは孫文から国民党を引き継いだ蒋介石(しようかいせき)で、彼はクリスチャンでした。それ故キリスト教戦勝国の思惑に一定の理解を示していたと考えられますが、このことは日本にとっても幸いしました。
というのも、戦勝国<米ソ中英>が集まって日本の国土を分け合う案について話し合っていた会議の席で、蒋介石が「日本には信頼できるクリスチャンの賀川豊彦(世界に名高い実業家で神戸生協の産みの親)がいる。彼が日本にいる限り日本は立ち直ることができる。」と、日本の分割統治に強く反対したと言われているからです。
後に国民党と共産党の対立が激化し、1949年に蒋介石は毛沢東に追われて台湾へ逃れることとなりますが、もしも終戦当時、毛沢東が中国の政権を握っていたとしたら、現在の形で日本が存続することはなく、少なくとも九州は中国に併合されていただろうと言われます。
ちょっと話が横道に逸れてしまいましたが、話を元に戻すと、イスラエル建国を主導したキリスト教国それぞれの思いと、イスラエル当事国の思いには、宗教・思想に大きな隔たりがあったという話です。であるにも拘わらず、互いの利害だけで推し進められたイスラエルの建国。この隔たりは年月を経るに従って拡大し続け、現在のアメリカはガザに人道支援物資を送りながらイスラエルに武器を供与する、ちぐはぐでトンチンカンな関係に陥ってしまっています。
1947年当時の国連決議による“人による作為的な預言の成就は、神の御心(みこころ)にあらず”ということだったのかもしれません。神不在の人による業は更なる分裂を産み、長い痛みと苦しみの歴史を拓くこととなりました。とはいえ、人間の失策を含めて神の御旨(みむね)だったのかもしれないのですが…。いずれにせよ私たち人類は、大きな試練を自らに背負い込んでしまいました。
一方、パレスチナ側・アラブ諸国にとっては、現地が当時イギリス領であったとはいえ、戦勝国の論理は受け容れ難く、★第一次中東戦争を招来することとなりました。彼らにしてみれば、ユダヤ民族がパレスチナを追われ世界に散らされたことは、それこそアッラーの思し召しで、歴史的にかつてそこに北イスラエル王国、ユダ王国が存在していたとしても、アッラーにより自分たちアラブ民族に与えられた土地であるというのが彼らの認識です。それ故に、西側先進国の身勝手で横暴な決断は到底受け容れられないと考えていました。
今回もアラブの勇、イランがハマスの全面支援を買って出ており、イランとイスラエルの間に互いのミサイルを迎撃し合うパフォーマンスが繰り広げられました。両国間の死者は僅かで事なきを得ていますが、いつ焼けぼっくいに火が付いて☆第五次中東戦争の引き金を引くか知れず、予断を許さない状況が続いています。
5月20日(月)ICC国際刑事裁判所のカーン主任検察官が、イスラエルのネタニヤフ首相、ハマスのシンワル指導者をはじめとする5人に戦争犯罪で逮捕状を請求する意向を表明しました。請求が認められるとICC加盟国は5人が自国領に入った段階で逮捕しなければならない義務を負うことになりますが、今回の逮捕状請求は即時停戦を促すためのパフォーマンスとの受け留めが大勢です。これ以上一般市民の犠牲を増やさないためにも一刻も早い停戦・休戦が求められています。
我が国日本は、いろいろな奇跡の連鎖によって戦勝国に分割統治されることも、どこかの国に併合されることもなく、GHQ(連合国軍)占領下の期間を7年で終え、再び自国による統治が認められました。終戦から僅か10年で1956年に国際連合への再加盟が認められ、それから8年後には高速道路と新幹線を整備して平和の祭典であるオリンピックを開催するなど、見事な復興を遂げ国際社会が“アジアの奇跡”と称賛したことは既知の通りです。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」
これは、広島の平和公園に刻まれた碑文です。核爆弾によって一瞬にして多くの命が理不尽に奪われ、あまりの大きな悲しみに人々は打ちひしがれました。長崎も同様です。「過ちは繰り返しませぬから」の碑文は被害者の言葉としてではなく、当事者の言葉として同胞が戦争を招いてしまったことへの反省を刻んだものでした。日本の復興を果たした先達が、未来に禍根を残すのではなく、自身への反省を選択したことが、この碑文からも読み取れます。
先日、NHKのアーカイブを再放映する「時をかけるテレビ」で、かつて第二次世界大戦で敵味方となり戦闘を繰り広げた日米の元兵士等が、ハワイの野球場で試合に興じるという20年近く前の番組を観ました。
その中で、70代後半~80代の元兵士らの語った「(戦争を)忘れることはできないが、赦(ゆる)すことはできる」という言葉が強く印象に残りました。
たとえ元兵士ではあっても一人ひとりは普通の人間です。普通に交われば普通に愛し合うことのできる人間同士なのです。彼らの野球を通じて愛し合う姿は本当に美しく、「愛するとは赦(ゆる)すこと」だと感じました。
思えば私たちは、赤ちゃんがゲロを吐いても、ウンチを漏らし汚しても、愛しているから赦(ゆる)します。愛する対象を、私たちは当たり前のように赦している。それは、逆の言い方をすれば「赦(ゆる)すことから愛することを始められる」と言えるのかもしれません。
かつて敵対した相手を赦すこと、自分を傷付けた相手を赦すことは、痛みと悲しみが深ければ深いほど、嫌悪と怒りが強ければ強いほど困難なことなのだろうと思います。しかし敗戦(終戦)後の我が国の歴史を振り返る時には、“赦し”無くして現在の平和はなかったことを思います。ウクライナもロシアも、イスラエルもパレスチナ(ガザのハマス)も、政治を司る権力者、指導者らが直ちに過ちを認め、即時停戦を選択することを祈ります。そして、主イエス・キリストが自身を十字架に磔(はりつけ)た人間を赦されたように、また、日本が傷付けたアジア諸国からの赦しを得て日本を傷付けた連合国を赦したように、現在戦争の最中にある国々が、一日も早く“赦しのステージ”へと進めることを切に望みます。
そして、ユダヤ人とパレスチナ人が互いの違いを認め合い受け容れ合って、共同自治するイスラエル国家へと生まれ変わり成長・発達することを願います。