ハロウィンは、もともとはイギリス・ケルト地方で収穫の時期を終えた10月31日を1年の終わりとして、新年を迎える前の厄払いのような感じで続けられていたお祭りです。悪霊を寄せ付けないよう、怖い恰好をして町内を練り歩いていたんだそうです。スピルバーグの映画「E.T.」の大ヒットによって、日本でもハロウィンのお祭りが広く知られるようになり、いつしか日本の季節行事の一つにも成っているようですね。
クリスマス会(生活発表会)に一人の外部理事をお招きしました。この外部理事は十数年前にお子さんを当園に通わせたお父さんのお父さん、つまりお祖父様で、その当時以来の出席だったと仰っていました。そしてこの外部理事は光の子会に毎年多額の寄附をお寄せくださっていることに加えて、光の子会の全ての事業所の園児・児童・利用者・職員全てにクリスマスケーキ(ワンホール)をプレゼントくださっています。12月の末日、外部理事が経営されている会社を理事長と共にお訪ねし、お礼を申し述べると共に、外部理事をそこまで突き動かしている思いについてお話を伺ってきました。
「あの子が生まれて、あの子を中心に家族が動き始めました。そして今ではあの子が親族の中心になっています。ある時私が誰かのことを批判し怒って話していたら、あの子が『そんなん言ったらいけん!』と私を窘(たしな)めたことがありました。どうしてそう思うのか尋ねると『だってその人が可哀想だもん』と。純粋な気持ちで人のことを捉えている、そのことに教えられました。他にも、私たちはあの子を通じて沢山のことを教えられてきました。あの子は親族の宝なんです。」と語られ、更に、「家族にとって一番大切な(スタートの)時期を光の子学園で過ごさせていただいた」「園長先生が言われるように、この子らに世の光をじゃなく、この子らの光で照らしたいんです。」とも仰いました。
誰もがこの境地に辿り着けるものではないのかもしれません。しかしながら、私も理事長も外部理事の思いに、心からの共感を覚えるのです。
外部理事のお話を伺いながら、前職で関わらせていただいた引きこもり中学1年生女児の親カウンセリングを思い出していました。
1年生の3学期、2年生への進級を目前にお母さんが来談されました。娘は中学に進学後間もなく不登校となり、自室に引きこもるようになったそうですが、お母さんにもお父さんにも何が原因でこうなったのか皆目見当が付きません。「我が家には、全く問題はないんですけど…」と仰いました。2週に1回のカウンセリングは、娘が中学を卒業するまでの2年余り続き、途中からはお父さんも加わるようになっていました。そして3人で話し合いながら解ったことは、「問題のないことが問題」ということでした。
両親は『良い家族とは問題のない家族』という価値観の中に生きていました。家族の間には争いごともなく平穏に暮らしていましたが、長男を含めた4人の家族は、いつしかシェアハウスの住人のように互いを干渉しないことが当たり前となっていたのです。でも、お父さんもお母さんもそのような状態を『良い家族』と捉えていました。そんな中での娘の“不登校”は、両親にとっては青天の霹靂(へきれき)。“何故?”“どうして?”が津波のように母の心を掻き乱します。そして答えを求めるように児童心理治療施設の外来を訪れ、両親は私と出会いました。
娘にしてみれば、『“娘をどうにかしなくちゃ”と、両親がカウンセリングを受けに行っている…』、“私のために父と母が伴っている(心配してくれている)(変わろうとしてくれている)”という事実が、娘の心に再びエネルギーを注ぎ始め、娘は次第に笑顔を取り戻していきました。よく喋るようになり、料理をしたり母親と一緒に買い物にも出掛けられるようになりました。更に、「臭い」と避けていた父ともリビングでの会話が再開し、3年生の秋には不登校以来黒しか着なかった娘がオレンジのコートを買い、高校への進学も果たしたのです。
両親は、最後のカウンセリングを次のように結びました。「今では娘が不登校になって本当に良かったと思っています。もしも不登校になっていなかったら、今頃私たちは離婚をして家族がバラバラになっていたと思いますから…」と。
この家族は、娘の不登校を通して本当の“家族”に成れたんだと思います。娘の無意識の欲求、それは『家族に成りたい』でした。
以上述べてきた二つの例は背景も状況も異なりますが、いずれも一般には一見“問題”として捉えられがちな子どもが、家族に成長をもたらし、家族を救った例です。子どもを変えようと動き始めた結果、家族の方(ほう)が変えられた好例と言えます。これらの例からもお分りのように、「問題のない家族」が良い家族なのではありません。「問題解決のために行動できる家族」が良い家族なのです。
尤も、解決できる問題ばかりではないのかもしれません。しかし、解決が得られなかったとしても解決に向けて家族で行動する時に、否応なく家族の絆は深まります。大切なのは、解決を得ることではなく、行動をすることであろうと思うのです。
家族に問題があるのは当たり前。問題のない子育てなんて、はなから存在しません。重要なのは、問題をうやむやに見過ごすか、真剣に受け留めて行動するかで、結果が違ってくるということなのでしょう。
そして更には、問題が=マイナスとは限らないということです。問題をプラスに捉え、パズルのように解く楽しみを夫婦で、家族で共有できるなら、誰か一人が抱え込んで苦しむことを回避できるのではないかとも思います。一人で抱え込んでしまうと、小さな問題も、いつのまにか大きくなって手に負えなくなってしまいます。問題は小さなうちに、家族にシェアするのが秘訣です。でも、家族で手に負えない時には、早めに専門家(公の機関、もしくは公の指定を受けている機関で評判の良いところ)を頼ってください。そのために専門家は存在しているのですから。
外部理事との別れ際に、良い家族に成れるかどうかは、親が子どもの中に“光”を見出せるかどうか、というお話をしました。私たち福祉・療育に携わる者に、少しでもその”光”を見出すお手伝いができるなら、これに勝る幸いはないと思わされています。